知人が入院し、見舞いに伺った。


土曜日だから、病院は休院。




此の病院には、悲しみと喜びの想いでがある。


今から30年近く前に、此の病院にて先妻が42歳の生涯を閉じた。


闘病生活9ヶ月余りの末、無念の思いの末に。


入院中は、1日を除いて毎日、病院に先妻の顔を見に行った。


行かなかった1日は、長女長男との伊豆への日帰り旅行だった。


しかし旅行から帰り、夜12時位に病院に行き、病院前のロータリーから病室の窓を見て、おやすみと呟き帰った。


あれから30年近い月日が流れ、病院も変わった。


正面玄関左手には、救命救急センターが出来た。



以前は駐車場だったが。



ロータリー真ん中にそびえる木は、当時から有った。

30年前は、もっと低かったが。



人気(ひとけ)の無いロータリーのベンチに座り、木を眺めていると、当時を思い出し…切なく悲しくなる。



帰路…今現在の奥さんに、切なく悲しい気持ちを呟いたら、奥さんから……

「悲しい気持ちは分かる、でもこの病院で子供や親やパートナーを亡くした人達は沢山いる筈」

「貴方と同じ気持ちの人達は沢山いる筈だよ、まして貴方は9Monthの時間が有った」

「直ぐに亡くなった人達は、もっと辛い筈だよ」

と、言われた。

その言葉を聞き、、、

そうだよな、悲しい思いをしている人は、沢山いるよな。

自分だけの感傷に浸っちゃいけないよなと思った。

17歳歳下の、フィリピン人妻の気丈さ逞しさに、色々気づきを得る様になった。