今から20年以上前の1月6日は、先妻が危篤になった日。

1月7日は命日。

毎年、この日が近づくと……ハッキリ言って、気持ちが重くなる。

なんというか………辛い。

時が解決すると人は言うが…
そんなのは嘘である。

幾ら月日が経とうが、あの日の事は忘れられない。

次第に下がっていく血圧、どうする事も出来ない絶望感。

妻の手を握っても反応は無く。

ただベッドの横にいるだけの私。

想えば、、、、、

1月3日朝までは自宅で看病していたが、いよいよ水も飲めない状況になり、

総合病院に再度入院する為に、車まで私が妻を背負って…そして後部座席に乗せ、

長男と長女で妻の身体を支え、車を走らせた。

3日は昔も今も総合病院は休みだが、前以て連絡してあったが、ストレッチャー等の用意も無くて、

5階の病棟まで車椅子で行こうとしたが、辞めて…私が背負って行った。

入院し、点滴で容態は一応は落ち着いた。

明くる4日、朝方…妻のもとに行くと意識はあり、「どうだ」と訊くと頷きながら「大丈夫」と。

其れを聞いて安心して…
「じゃあ年始回り行ってくるよ」と。

妻は「はい、気をつけて」とか細い声で……。

此れが取り返しのつかない大失敗だった。

年始回りをそそくさと終わらし、病院に4時頃戻ったら、妻の意識が無い状態になっていた。

医師からは、一時的なものかもしれないから、また意識が戻るかも…と。

しかし亡くなる日まで、意識は戻らなかった。

世間体での、年始回り等という事に時間を費やし、そんなもんより…何故、妻の側にいてやらなかったのかと、悔やんでも悔やみきれない。

此れを期に、年始回りを辞めた。

毎年、毎年、年の始め…正月は晴れやかな気持ちにはなれない自分がいる。