今現在、勤務しているチェーン店で仕事をし始めてから約9年になる。

平スタッフで入り、2年してからオーナー店の権利を取得、そして組織改編でオーナー店が廃止になり、また元の直営店スタッフと紆余曲折だった。

まあ今まで飯が喰えて来たし、日本での仕事人生も終盤戦だから、どうって事ないが(笑)

そんな事より、此処に入った時は周りからは随分と色眼鏡で見られたものだ。

嫁さんがフィリピン人と云うだけで…、、、

痛い親父、
無類の女好き、
可哀想なヘタレ親父、
ピンぼけ親父、

陰でありとあらゆる事を言われた。

まあ、その通りだから仕方ない(爆)

当時のスタッフ達は皆、20代半ばから30代だった。

彼らや彼女らから見れば、40代後半になるオッサンが17歳も歳下のフィリピーナと結婚して、子供まで作っちゃうなんて、色呆けジジイ以外の何者でも無かったに違いない。

当時フィリピンの話しを語ったり、移住の話しをすると、「オッサン何を寝惚けた事言ってんの」ってな顔された。

そして今……

彼ら彼女らも、30代半ばから40代半ばになり、中年期に突入しようとしている。

で、ピンぼけ親父は移住の話しを相も変わらず吠えている。

が、違うのは移住の話しが具体的になり具現化しつつあり、かつ現地ビジネスが軌道に乗り、その話しも語る様になってきたと云う事。

昨今の経済低迷と将来に対する先行き不透明感から、彼らスタッフ達は己の将来にも漠然とした不安感に包まれている。

そんな中でピンぼけ親父だけは、一人浮いたか提灯で、フィリピン移住を声高に語り続ける。

そして…スタッフ達の態度が変わり始めた、昨年位までは聞く耳持たぬ様な態度で、「オッサン~絵空事ばかり言うなよ」的、雰囲気だったのが、真剣に話しを聴いたり、質問したりと興味を抱き関心を寄せる様になって来た。

オジサンは常々、スタッフ達に言ってきた。
未来を見つめながら生きるべきだ、日々の仕事に追われ忙しさにかまけ、ついつい人は夢を見失う。

そうであってはならない、常に夢を見続け希望を持つ事が生きる糧にもなる。

な~んて言い続けた。

が、所詮はピンぼけ親父の云う事であり、スタッフ達は「オッサン…よう言うわ~」位にしか聞いてこなかった。

だが明らかに状況は変わり始めた、ヘタレ親父の云う事がスタッフ達に取って、与太話しからマトモな話しとして訊く様に。

スタッフ達にはよく言われる…「らすピーさん、第二の人生ですね」

私は答える…「いや違う、人生は連綿と続いているものである、今この場の生き方もその後の生き方に繋がるし、今此処にいるからこそ先もある、人生に第一も第二も無い、人生は一度きり、連綿と続く人生と云う名の道を歩み続けるだけ」…なんて吠えるのである。

しかし内心は嬉しい、ピンぼけ親父と言われ続け、少なからず変わり者と思われてきた、其れが夢がある親父として認知されつつあるから。

オジサンは今日も海外での夢を語り続けるのである(´ψψ`)