居並ぶ人々は総てファミリーであった、ジェ〇ーもレイテへの帰省は数年ぶりだったし、私が来るという事で一族が集まったのだった。

次々と紹介していくが、何せ初めてのレイテ、初めて訪れた場所、総てが初めてだらけだから呆気にとられるだけ。

とても憶えられる状況では無かった、皆が一様に「ようこそフィリピンに」「ようこそレイテに」と言ってる事だけは理解出来たが。

一通り挨拶が終わった処で、ジェ〇ーのパパとママと私とジェ〇ーの4人で話し合いとなる、ファミリーは其れを見つめている。

パパとママはビサヤ語なのでジェ〇ーがトランスレートする。

私が先ずは挨拶して、結婚の了解をお願いする、親父さんはジェ〇ーの通訳を聞き頷いた後に話し出した。

「リンには子供がいる、それでもいいのか?その子供達も育てなければいけないのだが、それでもいいのか?」

私は大丈夫だと言った、子供達は我が子同然に育てると。

親父さんは大きく頷き、「分かった、リンと仲良い夫婦になってくれ」と言った。

傍らで黙って聞いていたママはニコヤカに笑った、ファミリーからも拍手が出た。

話し終えると早速パーティーとなる、リビングの横には10畳程のダイニングキッチンになっており、テーブルの上には大きなレチョンバブイがデンと載っていた。

チキンや魚も用意されており、鰹もあったので其れをメインに私は食べた。

この時は急ぎ旅だったので、翌日にはマニラに戻る、慌ただしく近隣のファミリー宅を立て続けに訪問した。

翌朝のマニラ行きフライトに間に合わせる為に、早朝4時に出立した、途中かの有名なマッカーサー上陸メモリアルパークに寄り、此処から日本は負け始めたんだなと感慨に耽る。

と、暇も無くタクロバン空港に到着してチェックイン。

当時のタクロバン空港にはターンテーブルなんぞ無く、荷物は飛行機からフォークリフトで運んで来て、人海戦術で荷物を荷台に放り投げた。

クーラーも何も無い、まさに東南アジアの雰囲気がガンガンに出ている空港だった。


セブパシに乗りマニラに戻る、初めての渡比は観光もくそも無い超お急ぎ旅であった。