滋賀県に行ったのは彼女の生地だったから。

友達の紹介で付き合い始めたらしいが、ちと気難しい息子にしては珍しく気が合った様で(笑)

本人も退社を機に静岡を出たい気持ちになった様で、荷物を纏めて滋賀県に行ってしまった。

オイラの考え方は何処にでも行けって思っている、人生は一度だし悔いない様に生きるにはシガラミなんか捨てちまえと。

オイラ自身が若い時に東京へ行こうと思ったが、親を見捨てて置いてく訳にもいかず諦めた経緯がある。

幸か不幸かオイラがフィリピン人と再婚し、将来は日本とオサラバするから、息子にとってもダメ親父の面倒をみる必要も無い。

若い時は好き勝手にやった方が良いと感じているから、滋賀県行きに反対など一切しなかった。

しかしシガラミも無い代わりに、伝手も何も無い処に行くという事は頼れるものが無いという事。

まして他県の人間であるし、世の中そんなに甘くない。

仕事は正社員などに採用される筈も無く、派遣社員となって工場で働く様になった。

数年経ち鳴かず飛ばずの仕事人生、オイラは心配だったがどうする事も出来ない。

何とか正社員になれる様に頑張ってくれと励ますしか無かった、しかし本人は常にあっけらかんとしていたが。

そしてリーマンショック、景気は一気に下降し、企業の採用数は激減した。

道は断たれたってのが親の実感だった、このまま派遣で終わってしまうのかなと。

しかし息子は飄々としていた、そして昨年の5月に急にオイラの店に現れた。

大体この息子は何時も何時も、何事もサプライズ的に行なう。

オイラは仕事の手を休め外に出て話した、そうしたら何と正社員にて採用が決まりそうだと、今日は東京からの役員面接の帰りに寄ったとの事。

大阪が本社で東京に営業本部があり、滋賀県には工場がある会社。

非常に特殊な製品を製造しており、今回は製造技術者を1名採用との事。

その採用枠に250名の応募があった、一次は筆記試験、二次は同じく筆記試験、三次は製図試験、そして四次が東京本部での役員面接となり、五次が大阪本社での社長面接で終了。

で、東京本部で面接後に役員に呼ばれ内示を受けた、後は大阪本社での社長面接だが、もう決まったも同然だからと役員に言われたので、報告しにオイラの処に寄ったとの事。

そして翌週に採用通知を受け、正社員として採用されたのだが。

その会社は不況下にありながらも業績を伸ばしており、新工場も建設中であった。

息子は新入りにも関わらず、工場にて改革チームのチーフとして抜擢された。

息子は見た目はチャラ男で優男に見える、だが内面は全く違い実に骨っぽく、物怖じしない性格である。

この性格が故に専務や役員にもズケズケと改革案を進言し、企画書を提出した。

入社して僅か2ヶ月も経った頃、息子が提案した改革案が通り、工場全体が其れに基づき動き始めた。

だが長年の旧弊に縛られ改革は進まず、また静岡人が故に外様…つまり他所者が生意気にとの旧社員からの妬みも邪魔をした。

勿論そんな事は織り込み済の息子なので、気にも留めず次なる一手を打ち出した。


続く(´ψψ`)