僕の無益で怠惰な人生において「こんな画を描きたい衝撃」は合計四度。その四度目が古吉先生の「MAYA」。
実物はA4ぐらいの所謂ミニチュア―ルだけど迫力はA2オーバーな感じ。価格も800万とかで売れたらしい。すごいな。
で、この画。パクリというなかれ。オマージュだ。古今東西よくある基本構図でもある。
未完成だし、今観ると色々手直ししたい場所だらけだな。それに公開してよいのかどうかもよくわからない。ガレやラリックはいいとしてもブライスやビチコバは描いてもいいのかな。
魔、何にせよデジ画でしかないし。デジ画というのは作品というより構想みたいなもので厳密には画とは言い難い。じゃ完成させてA3くらいで油彩でアナログで描くかというとそんな気力はないよな。80万くれるというなら勿論描く。でも趣味では無理だな。
結局すべてのことはモチベーション。デジ画で、適当仕上げで公開が限度ということか。残念。
但し、問題がひとつ明確になったな。僕の場合は技術の未取得というのではなく、妥協という逃避で誤魔化してる。これだ。これが問題なんだ。
自分の古い画にもいいものがあり、再現不可能な描写があったりするわけだし。
なるほど了解した。
でもなあ。
衝撃という波動もいつの間にか慣れて馴染んで味がなくなるよね。
またこの自問を繰り返す。
「僕はこれからどうすればいい」