いや~メモった紙を見て改めて歴史って知らない所で同時に色々動いているんだなぁ…って感じる。マニアックなんだけどそこがまた面白い。

聞いてみないとわからない。もしかしたら身近な人にも自分が知らなくてネットに出てない情報を持ってる人がいるかもしれないぞ!!

そんなこんなでとにかく現地では人を見つけて必ず質問攻めにするのが、か~み~流である。中には「ここじゃなんだから上がって。」とアポなし面識なしなのに、お茶まで出して頂いて盛り上がる事だってあるのだ。


さて続きと行きまひょか!河原には当時の遺構?謎の錆びた金属片が落ちていた。
この手の物はなかなか判断が難しいんだよなぁ~。


さて…問題はあの竪坑にどうやって近づくかだよな。初めからあの状態だったらしいが…知らないと何とも不思議な構造物にしか見えない。


当時から沢も存在していたのは間違いないが、何気に長靴でも少し水が入るし搬出も手間だったんじゃないかな。

青い岩の中に良質の黄銅鉱が詰まってるって言ってたけど、割れば今でも出るのかもね。


沢の中には古いコンクリートが横たわっている。コイツは使われなかったのか、それとも別の何かの目的があってここに置かれたのか謎だ。


よっしゃ!飛び石を利用してやっとこさ真下に到着!!うへー!下から見上げただけでもかなりの高さ。


下に若干の隙間が見られたのでライトで確認。残念ながら穴に通じてるものではなさそうだ。


しかし斜面が濡れていて露頭だととてもじゃないが登れんぞwww
どうやら回り込んで登るしか手段はないっぽい。

そう言えば翁は当時カーバイドを使ってたとも言ってたな。俗に言うアセチレンランプで、今じゃほとんど使われなくなった代物だが…コレクターが存在する故に水面下で静かな人気を誇っている。


何とか上に登れたぞ!ってか…これはひょっとしたら上からのアクセスが最初から存在するんじゃないのwww?


万が一がある為、木にロープを結んだ状態で竪坑の上ギリギリまで来た。流石にコンクリートの枠に乗る勇気がないってか、足が竦んでダメだ!!

怖すぎるwwwやっぱりか~み~は人にやらせるだけしか出来ないチキン野郎でした!!

ちなみにライトで照らしたけど底が見えなかったので、SRTが出来て尚且つ怖いもの知らずの勇者は是非とも降りてレポして欲しい。


帰り道何気なく田んぼ道を歩いてると石標が埋まっているのが目に映った。

右 一ノ宮 高瀬道
左 宮崎 宇田道 と刻まれている。

これは歴史を感じるね!高瀬村、宮崎村、宇田村と今は消滅してしまった村の名前がこんな所で見られるとは…何とも感慨深い…ッッ!!


裏には大正七年一月
吉田村青年會建之 とある。

吉田村も当然消滅、当時は小さい村が幾つもあったのでその名残として富岡各地に名前が残っている。

穴以外にもこんな形で歴史の一端に触れられるのはとても嬉しいし面白い。

消滅した村…そう考えると遠い日の事の様でもあるが、近い日の事でもある。
悲しいかなか~み~のしょっちゅう行く南牧村は消滅の第一候補として今の所全国一危ういと言われている。

あと10年と言われてるがいっその事国内最大のフォレストアドベンチャーでも作ってみてはどうか?そこにクラウドファンディングで復活予定の星尾鉱泉を絡めたりとか、何か出来そうな感じがする。
  

住所:富岡市神農原