まだまだやりたい事がありすぎる。しかし実際はその半分も出来ていないし、時間ってやつはいくらあっても本当に足りない。

かと言って時間が有り余っていてもやりたい事がこなせないから、不思議なものだよね~と結局は己のダラけ具合に嫌気がさしている今日この頃です。


さて続きを書いて行きます。
他にも一応調べなければならない。高さがある故にここは長永さんが下担当として動き、か~み~は上から指示を出す形で攻める事になったぞ。


赤丸が長永さんなのだが…か~み~がいる場所との高低差が凄いwww


恐らくはしごやロープは釣りをする為に下に降りる用で設置されたものじゃないか?
鉱山用としては新しすぎるし、散乱しているゴミがそっち系の物ばっかりなのよね。


結局鉱山の手がかりは何一つ発見出来ずに振り出しに戻った。
それなので上流を探索する方が見つかるのではと睨んでそちらへ向かった。


確かにロープがないとこの斜面はかなり危ない。釣りをする為だけに良く設置したもんだなぁ。


戻りながらタイミング良く近所の翁に出くわしたので話を伺った。驚いたのは何と元坑夫だって言うじゃないか!!
とは言いつつも当時農家もかけ持ちしてたと教えてくれた。 

聞けば現在90歳で昭和6年に鉱山開発が始まり、昭和10年から本格的に採掘を開始する。鉱山は補助金で7、8年回してたそうでかなり良質の黄銅鉱が採れたと言う。


掘り方は完全に竪坑に近い斜坑で50m程あるらしい。中に一人が入り水を汲んで上の人が引っ張り、喉が渇いたら上からお茶を降ろしてもらったりしてたと語る翁。

「下からの声は上に届かないんだけど、上の声は良く聞こえるんだよな。そんでな、下に居ると空気が薄くてすぐに頭痛くなるんだ。」

「ある時だよ上で作業してたら一人竪坑に落っこっちゃったんだ!1月6日の事だったけなぁ…。」

凄い話だな…と思いつつ「死んだんですか?」と聞くと…。

「それがさ!生きてたんだよ!!気を失っていて、踏んだり叩いたりして五分後に息を吹き返したンだよなぁ。」


「その人は先輩だったけど手首の骨を折っちゃって、それから二年間休んで結局それをきっかけに辞めちゃったよ。それでその人も去年の秋に亡くなったっけ。」

翁はその後も色々と面白い話をしてくれた。

「昭和18年ぐらいだったかなぁ。1日の日当が2円30銭で、地下足袋5円ゴールデンバットが7銭の時代だいね。地下足袋だけは買わないと働けないから頑張って買ってね、高かったよなぁ…。」


話せば話す程どんどん当時の話が出て来る。兵隊に行かなかった話や、仲間の一人が潜水艦乗りで原爆炸裂の瞬間を目撃した事…。

竪坑の下から掘り進んで行きどう言う仕組みになってたのか未だにわからないが、正確に穴の真下に開通させた事などなどとにかく止まらなかった。


ネットに出てない情報は貴重なのももちろんなのだが、こうして誰かが語り継がなければ一生外に出ずに個の存在と共に消え行くものなのだ。

だからこそ記録に残さねばならない。書籍に載るものが全てではなくこうした体験談は聞き込んだりしないと出て来ない故に、自らの足で現地に赴き時間がかかっても調査すべきなのだ!


さてその竪坑はコンクリートで出来ていると言われたのだが…果たして入れるのか??


もし50mの竪坑なら今ある手持ちの20mロープではとてもじゃないが、半分にも満たない。


沢に出ると確かに言われた通り対岸にコンクリートの竪坑が見つかった。何故あんな場所に掘ったのか甚だ謎ではあるが、あの場所にかなりの量の黄銅鉱があったんだろう。

当時は採掘しても精錬する技術がこの辺りにはなかった為、足尾へ運んだと言う。
まだまだ謎の多い神農原鉱山。続きはまた次回に持ち越しにしておこうと思う。