修学旅行と聞くと懐かしい思い出が蘇って来たりする人は多いのではないでしょうか?
高校二年の時に九州に行った時、大人は恐ろしいものだと思い知らされたら出来事がありました。

友達に竹内と言う男がいたんだけど、コイツがまた多才な男で絵は上手いわ声真似や女声を出して歌を歌ったりなかなかのアレでしかもオタで…面白い奴だったんだ。

タバコを吸う奴でグループ行動の時にアホだから吸いながら歩いてて、横をすれ違ったメガネスーツの男の人にいきなり…。

お前どこの高校や!!と腕を掴まれキレられた。
か~み~達は関わりたくないし、良い機会だから放置して逃げましたwww

その後こっぴどく叱られて学校にも連絡を入れたそうな。

しかしこうやって怒ってくれる大人がいるって良いもんです。今は時代的に怒ると問題視する風潮だったり、先生が叱るとバカ親が出て来たりとおかしな時代になったもんですが。
大人は怖い。だから間違った事はやらないみたいな流れは絶対に必要だと思う。


さてさて!本題に入るぜ!!オーイエー!!
前に下仁田の鹿ノ湯の時に見つけた神社と地下遺構の先に実は色々と気になる遺構が沢山見つかった。

打ち捨てられたこの場所でかつてどんな事が行われていたのか調査をしてみた。


まず一つ目の謎の遺構はこの前の神社…。諏訪神社の先にあるのだけど、橋の橋台なのか??それとも別の何かなのか…全くと言う程手がかりはない。


そこから少し先には石臼的なものが地面から生えた木を貫通していて、何となく宗教的な意味合いを持ってそうな雰囲気があった。


更にその先には石燈籠まであるけど、周りには何かがある訳じゃないのに…とにかく謎めいている。


比較的新しいなと思ったら何と享和三年…ッッ!!
享和は1801年~1804年までと短い。しかしその時代からこんな場所に何故これを置いたのか…問題はそこである。


残念ながらか~み~はこの手のものに詳しくない。なので知ってる人がいたら是非とも教えて頂きたい。

それと周りは本当に単なる山で突如あんな感じで遺構が出て来るので何の為に??って思わざるを得ない。


先へ進めば進む程藪が深い。だがその藪の奥へと何故か錆びた配管が続いている。


しばらく歩くとようやくその意味がわかった。なるほど!そう言う事だったのか!!源泉だ!鹿ノ湯の源泉がここにあったんだ!!
遂に発見…ッッ!!それをここからあそこまで引っ張っていたとは。 


しかしこうやって誰も知らない場所の謎を解き明かして行くって楽しいしロマンだよなぁ…。
恐らくこの尾根道の先にも何かありそうなそんな予感がする。


昔の人は現代人と違って燈籠や石仏、その他諸々のものを意味があってそこに置いたりしている。

昔は当然だったものが今は失われてしまい伝える人がいなくなってしまったから、そこにある意味すらわからなかったりするよね。

例えば城を作る時に城の東西南北に何があれば良いかとか驚く程知られていない。そう言う所も知って城を調べて行くとなるほどと思う所は沢山あるし昔の人は凄い!!と改めて思う事だろう。

当時は「山川湖道」を用いて城を築城すればその城は落ちないと昔は言われていて、箕輪城が落ちたのはこれに沿ってないからと言われてる程だ。


そうした裏取りをして行くと次々と意味がわかって行くので面白いのと、知恵を用いてそこまでやるか!!と思うものがとにかく沢山あるのだ。

話を戻そう。尾根道から三方向にそれぞれわかれて探索すると遠くに階段を見つけた!!

ちなみにこの日のメンバーはか~み~、長永さん、TAKAさんのスリーマンセルで行っている。


近づくと斜面に役目を終えた苔むした階段があった。斜面を下ると下の方には白艶華工場もあるので、当時は従業員の人もここに来ていたのかもしれない。


階段を回る様にして登るとそこかしこに古めかしい石燈籠が多数見つかった。


上の方には小屋もあるのでもしかすると廃神社なのかもしれない。


石燈籠の彫られた文字には寛政九年と出ている。って事はさっきの享和より前にここに置かれたってやつだ!!
1798年にはここで確かに信仰の為に訪れる人がいたんだ!!

でも考えてみたら今でこそ過疎化が進んでるけど、宿場町としてめちゃめちゃ栄えてたんだよな…。
それがどうして現在みたいになってしまったのか、そこが気になるな~!!

まだまだ書きたい事はあるが枚数の都合上次回へ持ち越しになるけど、この手のネタは興味ない人にはどうでも良いんだけど…面白い人にはたまらんのだよ!!
やっぱり遺構やら歴史は限りなく面白いぜ!!

続く…。