持倉鉱山と聞いてピンと来る人は数多く居るだろう!そう!新潟県にかつて栄えた鉱山である。…と言いたい所だが!
そうじゃない。そうじゃないんだ!新潟に遠征などしちゃいないYO!

か~み~の言っている持倉鉱山はだな…。



群馬にある持倉鉱山だ…ッッ!!

そう!これまたネット初登場となる「群馬」の持倉鉱山。聞いた事のある人は恐らく居るまい。普通のその手の本には載っておらずほとんどの情報が無いこの鉱山。



掻き集めた情報によるとこの鉱山は昭和30年に採掘を開始し、神流町の標高1000m前後の持倉集落付近にあったとされている。
マンガンの採掘をしていた様だが、残念ながら資料がほぼ存在しない。



一応当時の持倉鉱山の場所を記した地図は所持しているが、船子と神ヶ原両方の地名がある事から別鉱区が存在したものと見られる。

等高線から場所を特定出来そうな感じもするが、露頭らしき場所は断崖絶壁の所にあってアクセスはかなり困難だった。



ちなみにこちらは持倉鉱山の坑道図も載ってる地図だが、正直これだけで探すとなると至難の業である。

情報のほぼ無い鉱山の遺構探しはなかなか難しく、山狩りの様にとにかく虱潰しにやるしか方法は無いのだ!



訪れたのは結構前なんだけど山狩りするのはか~み~はかなり苦手だwww
山狩りのエキスパートと言えばmog氏だが、それとは別に山狩り専門特殊部隊…通称-山猿-が存在する!

本音を言うと出来ればやりたく無いのでww
山猿を前衛に置ひたすら報告を待って見つかったらそこに向かうパターンを取っている。



夕暮れ時だったので探索時間は残り30分しか無かった。それでも限りある時間の中で、少しでも成果が得られれば次の為にもなるので怪しいと思われる場所に辿り着いた。

画像で伝わるか謎だがとても急峻な所で登って足を滑らせたら最後下まで転がり落ちる。こんな恐ろしい場所でも可能性があるならば…やるしかあるまい…ッッ!!



この崖をよじ登るのは当然ながら山猿の役目であり、今回わざわざ山猿界のアノ人がやって来てくれたのだ。


そう!長永さんだ!!
長永さんに登らせるってやつだwww

いやはや何とも見てるだけでも怖いwww
ここでか~み~はベースキャンプを張り(妄想)待機する。



動画だと崖っぽさがリアルに伝わると思う。それにしても良く登るな長永さんww

やらせるか~み~もそうだけど、美味しい所だけ持って行くんだからたまったもんじゃないよNE♪

これだけの崖を登るのは当然ふくらはぎもパンパンになるし、疲労感も半端無いしとにかく危険なのだ。しかしそこまで危険を冒して犠牲を払ってでも発見できれば良いではないか!すなわちこれは…。


捨て奸みたいなものなのだwww

ちなみに待っている間いつも何してるんだろう?とか気になりませんか?
他の人はどうかは謎だがか~み~の場合…ッッ!!


歌を歌いながら待っているぞwww

本人が必死に無いか無いか?と探している時に我関せずと言わんばかりの暴挙!挙げ句にはキジの鳴き声で反応を見る始末…ッッ!!
良いか!良い子の皆は真似しちゃダメだぞ!!



さてこちらは長永さんが登った場所の画像である。怪しい石垣が一部分だけ顔を出している。
偶然でこう言う形になる事は無いので明らかに人の手が加わり、かつてそこに何かがあったのでは無いかと思わせる。



尚も崖は続く。当時の持倉鉱山では椹森の積込場まで2kmの索道が存在したと記録が残っているので、その遺構でもあればテンションが上がるがそれらしき物は見つからなかった。

そもそもこの場所が合っているのかすら怪しいが、それでも探索しなければわからないから取り敢えずやっている感じね!



それにしても良く登っているなぁと関心するww

手元の資料によると鉱床付近では粘板岩層は北40~60°東の走向を示し、一般に緻密で層理も比較的明白であり一部ホルンフェルス化され黒色緻密堅硬であるが、鉱床から離れた所では帯緑色千枚質となっている所が見受けられるとある。



鉱物は菱マンガン鉱、バラ輝石、硬マンガン鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱などが採れるらしく脈石としては石英が多いと書いてあるのだが特にそれっぽい転石は見当らない。



面白いのがこんな場所でも炭焼き窯があるってやつね。こう言うの見るとその時の時代背景とかわかるし、当時どんな人がここで作業してたのかとか考えるのが凄く楽しい。



ちなみに内部はこんな感じで、もう使われなくなってかなりの年月が経っている。他の県はわからないけど群馬は炭焼き窯がそこらじゅうにある気がする。

山に入ると大体あるよね??
何気に裏妙義の登山道の途中にもあるし何でこんな所でって所で良く見かける。



結論から言うとこの日は日没でタイムアップとなってしまった為にそこまでの成果は得られなかった。
謎の石垣は一体何だったのか疑問だけが残った形になったけど、これからも調査を継続したいと思う。


住所:多野郡神流町平原持倉標高1000m付近