舞い散る剣士・沖田総司 | しじみのブログ

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素敵な出会いに感謝!

港区の『専称寺』。



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ここに、

絶えることのない花々と

色とりどりの千羽鶴に囲まれた


一基のお墓があります。




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老若男女問わず

この墓にお参りする人は尽きることがありません。



今日、5月30日は


誠の旗 新選組一の剣士と謳われた




沖田総司





彼が亡くなった日、でございます。




『沖田総司』

と聞くと、


「あぁ、あのカッコいい人ね」


「血ぃ吐いた人でしょ?」


たいがいこの2つは必ず出てくるイメージのようです 苦笑








見たんか







って感じですが汗



かっこ良いと言われているビジュアルも


ドラマで豪快に喀血するシーンも


小説や脚本で脚色された

沖田総司さんなんですよ 苦笑




実際は、あんなに大胆な喀血も

人には見せませんでしたし


お顔も『平坦でヒラメ顔』だったことが記述に残されております。





総司クンは

江戸・白川藩屋敷(現在の港区)に


3人姉弟の末っ子として誕生いたしました。



が、父・勝次郎さんが

総司クン2歳の時に死んぢまうわ


母は知らぬ間に行方知れずとなるわで


子供の自分から

姉・ミツに育てられます。





どぉーも新選組隊士って

親の愛情知らない人が多いのよね。。。。





そして総司クンが9歳のとき


江戸・市ヶ谷の『試衛館』という

天然理心流の道場をしていた


近藤周助の内弟子として預けられます。



この人が

後の新選組局長・近藤勇の

養父さんなんです。



それがきっかけで

子供のじぶんから

近藤勇さんや、そこに集っていた土方歳三さんなどの

メンバーと仲良しになります。





彼の剣の腕は相当スゴかったようで


最も得意とした技が


刀 『三段突き』 でした。




一説には


『一突きもらったと思ったときには、三度すでに突かれている』


『足音が一度しか鳴らないのに、突きは三度行われている』


とも言われ、


その時に発せられる彼の声は


『歩いて10分もかかる船渡場まで聞こえた』


ほどだったと言います え゛!




後に、隊士だった永倉新八さんは


『彼が本気を出せば土方の剣などは子供扱い

近藤局長よりも強かった』


と、手記に残しています。




『刀で斬るな! 体で斬れ!!』



が、彼の口ぐせだったんですって。







こういう人って、Hも上手そうです。


ポッ ドキドキ






ハッ!


イカン、イカン、話が逸れました あせる




そんな彼でしたが

普段はとても子供っぽく


神社の境内で

チビッコたちと一緒に鬼ごっこをしたり

川で魚釣りをしたりして過ごしたり


道場や庭の掃除の手伝いや

走り使いもすすんでやって


周りの人たちから

すごく好かれていたそうです。




そんな彼ですから

女性からも人気が当然ございまして


とても可愛がられたそうなのよ。




彼の恋バナは過去に記事にしてありますので

よかったら読んでみて下さいませ♪




沖田総司の恋人




さて。


若くして肺結核を患い

新選組としての活動休止をやむなくされた総司クン。



晩年は千駄ヶ谷にある

植木屋平五郎さん家の離れで療養を致します。


記録によると


8畳~10畳の部屋で

縁側の障子いっぱいに陽が当たり

ときどき鳥影が射す所、だったそうです。



見舞いに訪れた近藤局長は、妻への手紙に



『骨と皮ばかりの総司を見たら涙が止まらなくなった。

それを見た総司も一緒になって泣いた』



と、記しています。





総司クンは床に伏していても


新選組や近藤局長のことを

ずっと心配していたんですって なく




そんな彼に

いよいよ死期が迫って参ります。





彼を介護していた老婆が

姉・ミツさんの旦那あてに最期の様子を語っています。




『5月28日。

元気を取り戻しました。


付き添っていた私の反対を押し切り庭に出ました。


梅の木の根元に ねこ 黒猫が横になっておりまして


私に刀をよこすように言われ

さしあげますと


猫を斬ろうとなさって。


ですが、「力が入らない」「斬れない」


と、嘆くだけでございました』




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『翌日も、さらにその翌日も

斬ろうとなさいますが、もう刀を握る力すら

残っていないご様子でした』




そして

1868年の今日の夕刻。



彼はその短い人生に幕を降ろします。




彼の享年には諸説ありまして


墓碑には24歳


沖田家に残る文書には25歳


小島鹿之助さん(土方歳三の義理の兄)へ当てた手紙では27歳


となっています。






いずれにしても

早いですよね。。。。。 ムムム






彼の短くも濃厚な人生は

ドラマや映画、舞台に数多く取り上げられ


なぜか『美少年剣士』というイメージがついて


二枚目俳優さんが歴代、彼の役を演られています。




昔どころでは


若山富三郎さんや



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大川橋蔵さん

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約4年に渡って

数々のシリーズもので沖田を演じた


島田順司さん



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草刈正雄さん

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やっぱりやってた

少年隊の東山紀之さん

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武田真治さん

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堺雅人さん

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藤原竜也さん

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などなど多彩な面々が演じられて来ました。


まぁ、中には『顔』で選ばれた人もいるようですが。。。。





私が印象に残ってるのはこの人。



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中川勝彦さん。


ショコタンのお父さんです☆



ロックスターだった彼ですが

意外に時代劇がウマいのでビックリしました。





さぁ~~~て。


こんだけカッコ良い面々がプレイした沖田総司ですが


彼のお姉さん・ミツさんの写真と

数々残る証言を照らし合わせた想像肖像画が発表されてます。



ちなみに

こちらが総司クンのお姉さん、ミツさんです。


 


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明治40年、75歳までお元気でした。





そしてこちらが

沖田総司クン。





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いいんです


いいんです




剣士は容姿ぢゃございません。


その技量と度量、そして器量でございますわよ。





たった二十数年の人生のほとんどを

剣と新選組に捧げた沖田総司さん。



そんな彼の人生の

何倍もの年月、彼の話は語り継がれています。



彼の名前が人々の記憶にある限り

彼もまた行き続けていけるんでしょうね きらきら