京都府に
『光縁寺』というお寺があります。
このお寺には
新選組隊士たちのお墓があり
隊士たちが多数、祀られています。
そんな隊士たちの墓が立ち並ぶ片隅に
ひっそりと建つ、小さなお墓があるんです。
そのお墓の側面には
『沖田氏縁者・4月26日』
と、書かれています。
新選組ファンの間では
『七不思議』のひとつとされている
この『沖田氏縁者』のお墓。
今日は、このお墓を
皆様にご紹介したいと思います
沖田総司、といえば
新選組に興味ない方でも
1度はその名を耳にしたことがある
有名な剣士ですよね☆
彼は25歳の若さで
結核(労咳)という病で亡くなってしまうのですが
その25年の人生のほとんどが
『謎』に包まれている人物なんです。
もちろん写真もありませんし
本人の日誌などというものも残っていません。
他の隊士が書きとめた行動記録や
宿の人の子孫の証言
沖田総司が身内に宛ててかいた手紙などからしか
彼の行動や性格は読み取ることが出来ないんです
だからこそ
ミステリアスで神秘的
ますます沖田ファンの心を揺さぶるんですね
さて。
そんな彼ですから、もちろん
嫁の話や
恋人の話も、実際には残されておりません。
が、 この『光縁寺』・新選組隊士の墓にある
『沖田氏縁者』のお墓。
刻まれている戒名が
『真明院照誉貞相大姉』
大姉、つまり
女性のものなんです。
沖田総司の親族のお墓は関東にありますので
縁者の墓がわざわざ京都に建てられている所を見ると
彼の内縁のお嫁さんだった可能性が高くなって来るんですね☆
しかもこの当時
院号と誉号が授けられる女性となると
医者や武家身分の女性、とゆーことになります。
そこで浮上してきているのが
京都守護職のお役目で負傷した隊士が
かかりつけにしていた
医者の娘さん、っでございます。
この娘さんの所に
沖田さんが足しげく通い、好意を持っていたことは
局長・近藤勇の子孫、勇五郎さんが
勇の残した手紙に書いてあった、と証言してるので
確かなんです。
でね、この医者の娘
結核で死んでるです
埋葬されたのが
慶応3年の今日、4月26日。
なんと実はコレ、
沖田総司が結核であると診断される
半年も前なんです。
つまり、沖田総司に結核をうつしたのは
この女!? って可能性が出てきてまして
結核をうつす → そーゆー身近に迫る行為がある → ヤッちゃった!?
ってなわけで(笑)
まだまだ諸説いろいろあるんですが
沖田総司は
医者の娘を内縁の妻にもっていたんぢゃないか、と言われています。
まぁ、
あくまで『推測』なんですけどネ
新選組には
他にも『沖田承之進』という隊士がいたので
そっちの方の沖田氏縁者なんぢゃないか、とか
沖田さんが殺してしまった浪士の身内を
哀れんで祀ったんぢゃないか、とかとも言われてるよーです。
私、沖田総司は
土方さんや近藤さんラブリーでいてほしかったので
町医者の小娘なんぞにコロッといっちまっただなんて話
信じたくないんですけどね
信じたくないネタといえば
沖田総司は美男子だった、という説。
これ、残された数少ない史料に
『沖田総司はヒラメのような平面顔』っていうのがあるのと
彼の子孫の顔立ちから推測して
CGが作られてるのご存知ですか?
今日は最後に
その衝撃の沖田総司・推測画を見ながら
お別れしたいと思います。
記録が残ってないからこそ
いろんな考えを張り巡らせることが出来、
ファンのロマンも広がるんでしょうね☆
長い文章、読んで下さって
ありがとうございました~
沖田総司 推測画