今日も今日とて、彼は来た。

 しかし、ウサギ君もモノ好きだと思う。
 当日の履修講義や実験が終われば、所属する部活動やサークルに顔を出したり、同年代の友人たちと遊んぶか、その資金調達のためのアルバイトをするのではないだろうか?
 私も彼らの年代の頃には……やめておこう。こういう事を考えてしまうようになって、自分の老いを実感してしまう。

 「教授。難しい顔をしてますね」

 いつものように、淹れたてのコーヒーの入ったマグカップが差し出される。

 「いや、なに。自分の年齢を実感してしまったものでね」

 眉間をもみほぐしながら、それを受け取ると、いつもの香りを胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 「年齢…ですか?」

 「ウサギ君みたいに若い人には実感できないかもしれないが、ふと湧いてでた想いに年齢を感じてしまう時があるのだよ」

 執務机の向かいに出してきたイスに、ちょこんと腰掛け首をかしげた。

 「確かに。ふと想うことに年齢を感じることはないですね……そもそも年齢を感じるって、どういうことなのでしょうか?」

 「?!」

 言われてみて、初めて気付かされる。

 年齢とは、太陽暦のある1点を基準とし、365日もしくは366日を経て1つ加えられるものだ。
 それを感じるとはどういうことなのだろう?

 「それは相対的なものなのではないでしょうか?」

 「相対的?」

 「はい。確かにボクは自分の思考に年齢を感じることはありませんが、たまに顔を合わせる年下の人たちとの会話の中に、変わったなと感じることがあります」

 興味深い。

 「ジェネレーションギャップということかね」

 「はい。ボクは対話の中でこそ、それを感じることがあるのですが、教授のように年齢を重ねた方々には、自分の記憶にある自分自身や出会った誰かとの相対的な比較がなされているのではないでしょうか」

 彼の推論に聞き入ってしまう。
 ここから、この推論の証明が始まるのだが、それはまたの機会にでも……。

 すっかり日も暮れて、マグカップの底に残ったコーヒーも乾いてしまっている。

 「今日も、もうこんな時間だ」

 ぐぐぅ〜。

 どうやら、彼のお腹も主張があるようだ。

 「お腹も減るってもんだ……ウサギ君。どうかね夕食でも」

 こうして若い学生を食事へと気軽に誘えることも、歳のなせる事柄なのだろうか?