主導権 | The Dark Side of the Moon

The Dark Side of the Moon

以前The Dark Side of the Moonというタイトルで書いていたブログの続編です。


SMとは、主人である「御主人様」とその御主人様に支配される立場の「奴隷」との関係で成り立っています。 その関係性は誰がどう考えても主人が「主」であり、奴隷が「従」という関係に見えます。 でも本当にそうでしょうか? 主人は自分が飼っている奴隷を肉体的にも精神的にも支配し、服従させ、自分の思うがままにする事が出来ます。 もちろん初めからそうでは無く、そこまで持っていくにはそれなりに努力し過程を踏まなければなりませんが。 まあその辺の話は置いておいて、基本的に主人は奴隷を自分の意のままに、好き勝手に扱う事が許されます。 となれば主人が「主」であり主導権を握っている事に、微塵の疑いも無いように思えますよね。 でも私の考えはちょっと違っています。 むしろ奴隷の方にこそ主導権がある。 そもそも、奴隷は主人になぜ「調教」という理不尽な行為を許すのでしょう? ありとあらゆる、考えうる限りの、時には常人には考えも及ばないような酷い仕打ちとも思えるような事にも耐えなければなりません。 「縄や拘束具で逃げられないようにされているんだからどうしようもないだろう!!」 と思う人もいるかも知れません。 でもそもそもそれを望んでいるのは奴隷の方なのです。 自ら進んで拘束され、調教される。 もし嫌ならば、そもそも調教されに来なければ良いだけの事です。 にもかかわらず、毎回必ず嬉しそうな顔をして調教されに来ます。 つまり、無理矢理調教されている訳では無いのです。 そう、奴隷の側が自ら望んで調教されに来るのです。 なぜそのような事を許すのか? もちろん誰でもいい訳ではありません。 「この人なら」と心に決めた人だからでしょう。 主人の視点から考えてみましょう。 なぜ主人はそれ程までに横暴とも言えるような事をしても許されるのでしょう? 無理やりや強制的にでは無いという事は先程言いました。 では何故? それは、奴隷の側がその主人を「自分の御主人様」として認めているから。 自分が認めた御主人様であり、その御主人様の望むような存在になりたいと思うから。 もしも何らかのキッカケで、「この人は自分の御主人様としてふさわしく無い」と感じれば心が離れ気持ちが離れ、主人の元を去っていくでしょう。 一度そうなってしまえば、いくら主人の側が「俺はお前の御主人様だ!!」と叫ぼうが喚こうが、もう見向きもされなくなり捨てられるだけです。 無理やり強制的に引き止めておく事は出来ません。 だから私はいつも自分の奴隷には、「ボールはいつもお前の手の中にある。そのボールを大切に手の中に持っている限り、私はお前を大切に可愛がってやる。もしも、もう私にはついていけないと思ったら、いつでもそのボールを投げ捨てなさい。そうしたら、いつでも自由にしてやるよ。」 と言って聞かせます。 つまり、私との主従の関係を続けるかどうかは、私の奴隷の気持ち次第という事です。 もちろん、私が自分の奴隷に対して余程の不満があれば私から関係を解消する事もあるでしょうが、基本的には奴隷の側の気持ち次第という事です。 だから私は、自分が捨てられてしまわないないようにと、愛情を込めて可愛がってやるのです。 


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