コミュニケーション講座を担当しているヤマダです。
 
 
今日のコミュニケーション講座はサカグチ担当のPREPで考える会話法でした。
 
 
 
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会話だけでなく、履歴書などの文章作成にも活かせるものですので、

詳細はまた別の機会に ・・・。

 

 

 

さてコミュニケーションに通ずるお話ですが、私の好きな言葉に

「慮る心」というのがあります。

 

 

たまたま観ていたTV番組の中で林修さんのクイズの番組に「これをどう読むか?」という問いが出されていました。

 

 

「慮る」は「おもんぱかる」と読みます(「おもんばかる」と読んでもいいようです)。

 

 

この「慮る心」とは、

 

人に対する「気配りの気持ち」と私は捉えています。

コミュニケーションとはまさに「相手に対する気配り」に尽きます。

 

 

前の職場で、私は周りの人たちに「気を使わなくてもよい、気を配ろう」と言い続けてきました。

 

 

 

これらはどう違うでしょうか?

 

 

 

「気を使う」のは自分中心(自分がよく思われたいという)の勝手な思いが背後にあるのに対し、

 

 

「気を配る」のは相手が中心、「もし自分が相手ならどう思うだろうか、どう感じるだろうか」という、全面的に相手の立場を尊重することと言えます。

 

 

「気を使う」と疲れますが、「気を配る」と自分の気持ちまでが楽になります。嬉しくもなります。

 

 

 

繰り返しになりますが、「気配り」がコミュニケーションのベースにあると思っています。

 

 

技法(テクニック)はいろいろありますが、

 

 

すべてが「もし自分が相手だったら」という発想で周りの人と話すことで、

 

自ずと相手への接し方も変わってくるでしょうし、

気を配ってくれる相手の気持ちもわかるかもしれません。

 

 

 【注】「気をつかう」に「気を遣う」という漢字を当てる場合があります。

ある辞書には、相手を思いやりたい時は「気を遣う」、

上司の機嫌を取る時は「気を使う」と絶妙な説明がありました。

「気を遣う」は「気を配る」に通じるものはありそうです。

 

 

 

ヤマダ