最近またヨガを始めました。


最初に始めたのは、数年前かな。

会社の同期の中でもヨガが流行っていて。

仕事が忙しくてなかなかジムにはいけないので、

DVDを買って家でやっている子が多かった。

当時はダイエット目的で流行ってたかな。

あたしも綿本さんだったかのパワーヨガのDVDを買って始めました。


パワーヨガというだけあって、少しきついのもあったけど、

身体に効いている感じはした。

結構汗もかくし。

あと、ナレーションつきのDVDで、映像に合わせてできるので、

ジムのスタジオでみんなとやっているのと同じ感じでできるのでよかった。



今は体調面の理由があって、とてもソフトなヨガ。

最初やったときは、こんなの効かないんじゃない?と思ったほど。

しばらくやってなかったけど、最近やっぱりやってみよう、と思い立ち。


いざやってみると、ソフトなヨガでも身体のあちこちが伸びる。

普段伸ばさない部分が伸ばされる感じがするの。

そして、そういう部分を伸ばすと、その後血が巡るのがよくわかる。

血行がよくなるのかな。

それがすごく心地よい。


血のめぐりと同時に、老廃物も流されているんだろうな、とか。

肩とか、PC仕事ばかりしてると凝り固まってしまうけれど、

自分で少し動かすだけでも随分違う。


大人になると、仕事をしていると、身体を動かす機会って減ってしまうけれど、

少しの時間ストレッチやヨガをするのは

忙しい時間の中でも心地よく暮らすのに、逆にいいんだろうなと

改めて思った。


ヨガの最後にはリラックスの時間があるのが普通だけど、

これがまたよく寝れる。

ということで、寝る前にヨガ。

こんな時間だけど。。

自分で稼いで食べていける年齢になったら、

何を得るために何を犠牲にできるか、

を明確にして選択していくことがその人の人生、生き方だと思う。

日本語が少しおかしいけれど。


恋愛、仕事、etc。

もちろん友人に相談することもあるでしょう。

そして相談って、うまくいっているときよりそうでないときの方が多いもの。


相談できる友達がいることは大切。

アドバイスしてくれる人がいることは大切。


でも、例えば同じことを半年も1年も相談してくる人。

それがグチであれば、聞いている方もしんどくなる。


本当に悩んで解決したくて悩んでいるなら力になりたいけど、

ずっとぐじぐじしてる人にいつまでも付き合ってられないなぁと。

あたしだったら、とっくにやめている。

そんなグチばかり言って過ごしていたくないもの。



それを得るために、何を我慢しないといけないのか。

それを回避すると、何を失うのか。


シンプルなこと。

その価値判断は、人それぞれだろうけれど。


自分がどんな選択肢を持っているのか。

それぞれのメリットとデメリットは何か。

譲れないものは何か。

そのために我慢しないといけないことは何か。


それらをすべて比べた上で、

これは譲れないから少し我慢する、

ここまでのリスクは負えないからこれにする、

と選択していく。

その積み重ねがその人らしい生き方だと思う。


相談されて答えられるのは、

今どんな選択肢があるかと、そのメリットとリスク。

それを一緒に考えることくらいはできる。

当事者には見えていないことに気づけるかもしれない。

二人で考えれば、1人のときより多くのことに気づけるかもしれない。

でも、最終判断は、その人自身。



そこまで考えても選択することから逃げたり、

分かっていたリスクにグチを言うなら、

もうそれ以上は付き合いたくないなぁと思ってしまう。

前向きじゃない感情に、不必要には巻き込まれたくない。



生きていたら辛いことはあるよ。

そういうときに、そっと寄り添い合える人がいるととても心強い。

泣きたいときもある、弱音を吐いてしまうときもある。

時間がかかるときもある。

そんなときは仕方ない。


でも、エネルギーもあって、選択する力もあるときに、

逃げ出してグチをいうのは少し違うと思うから。



できることしか、できないんだから。

もちろん今分かってるメリットデメリットが完全とは限らない。

思ってたのとは違うこともいっぱいあるでしょう。

でも、現時点でわかってることで選択するしかない。

それもリスクの一部。


どうしても怖くて嫌なら、選択しないで放置する?

その場合はどうなる?

選択しないという選択をした場合のリスクは?

やっぱり結局は、決めざるを得ない。


選択肢を決めて、同時に覚悟を決めること。

決めたら一生懸命その実現に力を尽くすこと。

結果がどうであれ、自分で考え抜いて決めたことなら、

予想通りじゃなくてもそんなに後悔はしないでしょ。

他人に決められて嫌々したなら、人のせいにしてしまうかもしれないけど。


自分で稼ぐようになって、と最初に書いたのは、たぶんこの部分。

学生で親に養ってもらってる間は、多少は親の意向も入るから。

それはでも、仕方のないことだし、

育ててもらっているということの裏返しでもあるからね。

でも育ててもらってても、意見を主張することはできるはずだけど。

やることちゃんとやってたら、方法はいくらでもあるだろうし。

その自由度、責任感は、学生と大人では多少違っても仕方ないよね、ということ。



覚悟がないこと、

ネガティブな言葉を他人に不必要に聞かせること、

言っていることがころころ変わってしかもそれを認めないこと。

こういう感じの人が最近とても苦手。


他人にストレスを与えてしまう人たちだからなのかな。

もう少し自分自身落ち着いたら、また大丈夫になるかなとも思うけれど。

こんなことでこれから人づきあいをしていけるのか、不安になる。



そして、そんなことを思っていながら、

近づいている命にかかわりかねないその日とそれからの日々に、

小さな不安を感じる自分。矛盾。


生きていたいと思ってしまうから、怖くなるんだろうね。

今日も生きていることは、本当は当たり前ではなくて奇跡。

少し前のエチカの鏡で

子供の才能を伸ばす育て方みたいのをやってたって友達が言ってて。


子育て中ではないけれど、

私も女の子だから知っておきたいこと。


いつか経験するかもしれないことなら、

早めにアンテナを張っておいた方がいいと思うから。

突然何かをしようと思っても、そう簡単にうまくいくものではないと思う。



私だけかもしれないけれど。

私はたぶん、本質を理解するまでちゃんとできない。

過去、試験でも仕事でもそうだったと思う。


試験に合格できたとき、

仕事ができるようになって評価されるようになったとき、

それはすべて本質を理解したときだったと思う。


そして本質には、一朝一夕でたどり着けるものではなく。

意味が分からないままにも細部にあたってみて、

一通り触れたところで一歩引いて全体を見て、

細部の位置づけを理解する。

それで初めて、本質が理解できる気がする。


試験勉強とかはずっとそうやってやってきたけれど、

本当はもっと本質に早く辿りつく方法はあるんだろうな。

先に全体を見渡せられれば一番よいのだろうけれど、

見渡したつもりでも、意味がわからないと結局見えない。

だから私にはきっとこの方法があっているんでしょう。



話が飛びすぎた。

アンテナを張るということは、その細部の情報を集め始めることに近いかな。

ある程度の情報を入手した頃には、なんとなく全体が見え始めていたり、

よいものと悪いものが見分けられるようになっていたりする。

いきなり見分けるのは、やっぱり無理よね。

人がいいと言っても、自分もそれをいいと思うかどうかは別だし。


どうでもいいことはそんな手間かけなくてよいけど。



戻ってエチカの子育て。

何か楽しそうでいいなーと思った。

やってることも基本的にシンプルだし、

昔の田舎の子はこんなもんだろうっていうような内容だし。


実際こんなことしてたら、

ケガが~とか衛生面が~とかクレームつける人もいるんだろうけど。

大きな事故は起こっちゃいかんけど、

子供なんてケガしてなんぼなんだろうな、とも思うし。

とくに周りの男の子とかを見てると。


大人になるとケガの治りも遅いし、

身体が大きくなるからケガしたときのダメージも大きい。

小さいうちにいろいろ経験した方がいい気がする。



英才教育はあまり興味がないし、

周りを見ててもあまり意味がない気がするけれど。

意味がないというか、必須ではないと、とりあえず思う。


何が正しいか、それだけぶれずに育てられたら、

あとはやりたいようにやらせてあげればいいんじゃないかと。


いやいや通った教室で何かを学ぶより、

興味をもって試行錯誤したときに習得力の方が断然すごいんだから、

それまで多少知識欲を渇望させてやってもいい気もするし。


それより善悪の判断ができなくなったり、

仁義というか、そういう古きよき日本人の精神みたいなものが

全く理解できない人間の方が怖いかな。



えぇ、好き放題。


なんでもいいのよ。