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人生は思い通り?



高校2年の時、コロナ騒動が始まり、全力を注いでいた大好きな部活ができなくなりました。全国大会も中止になって絶望し、なんでこんな目に遭わないといけないの、と「自分の思い通りに行かない人生」に文句を言い始めた頃、「全ての経験は自分が望んだ経験」という言葉に出会いました。

「大好きな部活ができないのは私が望んだ経験?そんなわけあるかよ。」

で終わりそうでしたが、かすかに心当たりがありました。


実はひどいトラウマというのを、その年の前に部活動で経験しました。思い出すと心に突き刺さってくる黒い大きなモヤモヤとなって蓄積していて、以前のように前向きに部活に取り組めなくなっていました。

ですが、停止されるとなぜか好きという立場をとり、「大好きな部活が〇〇のせいでできない」と言い出してることに気づきました。

ある時は〇〇のせいで好きだった部活が嫌になった被害者、ある時は〇〇のせいで大好きな部活ができない被害者になっていることに気づきました。


部活を好きになったり嫌いになったりすることで、常に不幸でいることを選んでいる自分に気づき、矛盾してるようで矛盾していない「不幸軸」で生きてることを知りました。


そして、なぜ不幸を選ぶのかについて考えました。

  • 心配してもらえるから
  • 休みたいけど休めない時、サボる正当な理由ができるから
  • 何かと言い訳に使えるから
  • 活力に変わるから
などですかね。

また、不幸を何かのせいにすることで、自分で選んだ道じゃない、どうにもできないことだと思うことができ、不幸の恩恵を受けているにもかかわらず、それに気付かず被害者意識で不幸に溺れる、一人芝居をしていました。


不幸であるメリットを受けるために不幸を選ぶ

(無意識)

自分のせいだと思いたくないから人のせいにする

不幸だと嘆く

心配・優しくされる

不幸のメリットに溺れる

不幸を選ぶ

(無意識)


幸せじゃない自分に多少不満を抱きながらも、状況を変える勇気をだすより、不幸である恩恵を受け続けたいという思いで、不幸を選んでいました。


部活ができないという現実、それは自分の「部活を正当に休む理由が欲しい」などという願いを叶えていた。

そして長い間苦しんでいた例のトラウマも、トラウマであることでの恩恵を受け続けたいという願いを叶えていた。


不幸を自ら選んでいたという衝撃的なことに気づいてしまいましたが、幸も不幸も選べるという事を知った事で、幸せを選べるようになりました。


それもあの時辛い経験を選んだ私のおかげ。


辛い経験を選んだ私、ありがとう。





今度は幸せについて書きます。



長くなりましたがここまで読んでくれた方

ありがとうございます🥰