一生懸命、いろんなことを
我慢した人ほど
積年の恨みが募る。


そのときは
「場の空気を悪くしないように」
「まさか、悪意で言ってるわけがあるまい」
「大人なんだから、笑って許してあげないと」
「言っても分からないだろうから」
と、
精一杯笑って許してあげた事ごとが、
結局は晴らされないまま、
あのときあんなに我慢したんだよ、と
いうことが
誰にも分かってもらえないまま
積もり積もっていく。

 
それを他人にやつ当たって晴らすなんて
とんでもない。
いい人いい人して過ごしながら
いつか、恨みを晴らすチャンスを待つ。
手ぐすね引いて、実力つけて。


やがて、自分に少し余裕が出来たかな、と
思った時に
そっと相手の様子を見てみたりする。
そろそろ罰が当たってるんじゃないか、
ちょっとは昔の言動を反省してるんじゃないか、
と期待しながら。


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私も、以前の土地で
ママ友の1人に
こっぴどい嫌がらせをされ続けたことがある。
それまでは親しかったので、
何か気に食わなかったんだろう。
 
地域ボスみたいな人だったので
周りのママ友も遠巻きに見ていた。
私は毎日、吐きそうなほど
しんどかったが、
弱気な顔を見せたら負けだ、と思って
ニコニコニコニコ
元気に振舞っていた。


その後、離婚になって
その土地を出て、1人で働いて
やっと落ち着いた頃、
思い立って、そのママ友に
近況報告のメールをした。


返事が来た。
「今思えば、申し訳ないことをしたなぁ、と
思いもしますが、
あなたのことなんて
すっかり忘れていました。」


何の罰も当たらずに
そのママ友は、その土地で
幸せに暮らしている。
どっかに行った近所のママ友のことなど
すっかり忘れて。



ものすごい不条理だけど、
恨みは果たせない。
なにか酷い扱いを受けて、
こちらがトラウマになったり
人間不信になったり
世の中に失望したり
もっとすごい自分にならないと生きられないと思って
必死で何かを身に付けている時にも
傷つけた相手は
何も新たに得なくても
愛されて、笑って
幸せに日々を過ごしている。


とんでもなく不条理だ。


逆境に耐える強さ
人の無礼を許す寛容さ
「いい人」「頼りがいのある人」の称号
そんなのをどれだけ得ても、
自分が笑えるわけじゃない。



笑えないけど、
「恨みは果たせない」ことは
かろうじて、笑える。



だから、
恨みを果たすために生きるのは
いい加減やめようか、と
思うのだ。


人を恨まなければいけないくらいの
辛かったことを、
教訓になんかしない。
反省も振り返りもしない。
ただ、ドブに捨てて、
二度と関わらずに済むところまで
歩いて来れた自分を
褒めたたえるのだ。