そもそも「陪塚」ってなんて読む?
私も古墳ビギナーの頃、ウィキペディア先生に聞きました。
陪塚
陪塚(ばいちょう・ばいづか。陪冢とも記す。)とは日本の古墳時代に建設された古墳の様式。
大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に建設されたとみなされるものを指す。中心となる大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬するもののほか、大型の古墳の埋葬者のための副葬品を埋納するために建設されたものもあると考えられている。
(ウィキペディアより)
「ばいちょう」といいます。これ試験に出ますよ
(本当に「考古検定」入門クラスに出た)。
これは、ウィキペディアから引っ張ってきた大山古墳、
いわゆる仁徳天皇陵の上から見た写真なんですが
仁徳天皇陵の周りにちょこちょこ、小さい古墳が見えますでしょ?
これが陪塚(ばいちょう)、お供の古墳たち。
この写真の下のほう、とくにごちゃごちゃっとチビ古墳群が見えるのですが
ここは現在堺市の公園になってます。
巨大な仁徳天皇陵だけでも大変な工事だったと思うのに、
お供の古墳をいっぱい造るとは、古墳時代の建設力半端ないです。