急に寒い日が続いたせいか、疲れが出ています。
月曜日からこんなことでいいのか、と思いますが、ま、そんなもんでしょう。
疲れている日は、ふと、この1年とか人生とかを
振り返りたくなります。
「こんなに疲れたんだから、なにか成し遂げただろう」と思いたいんでしょう。
そういう達成感がないと不安になるのは、能力で力ずくで生きる『二次』ですね。
昨日、受験勉強中の思春期が『大山(だいせん)古墳』の写真を見ながら
「これ、どうやってこの形に造ったんだろう?」とつぶやいていたので
母は「それは、古墳ビルダーの良い仕事の成果だよ。」と答えました。
(古墳ビルダー・・・「古墳にコーフン協会」会長で古墳シンガーの
まりこふんさんによる造語で、古代の古墳の設計に携わった方々のこと)
(大阪府高槻市・今城塚古墳の造り出し部分。
造り出しというのは、前方後円墳の両脇にクリオネの手みたいについてるやつ。)
実際のところ、古墳の石室とか土積みとか、大量の円筒埴輪とか
どうやって造ったんだろう?と思うし、
完成図を把握している古墳ビルダーはともかく、一般の作業員の人々は
自分が何を造っているのか、分かって働いていたんでしょうか?
一般作業員の皆さんは、毎日決まった時間に古墳築造現場に来て
作業長から「あ、今日はここからここまで土を盛って」とか言われて、時間まで働き
その日のお給金なり報酬のお米なりをもらって帰ったのだろう、と思います。
(もしかしたら、地域奉仕ボランティアかもしれないけど)
それって、現代のサラリーマンとなんら変わらないじゃないですか?
自分は何かを造っている、でもそれが何なのか実は分かっていないし
それが社会の役に立っているのか、誰かがそれを得て喜んでいるのかも知りえない。
でも、自分の今日の糧のために、家族の生活のために
ただただ土を言われたとおりに積み続ける。
そして、中には「いけにえの代わりに埴輪を作って納めよう!」とか
「どうせ埴輪作るなら、いろいろ凝ってみよう!」とか
「じゃあ、石室にイラストなんかも描いちゃおう!」って人が現われる。
その人が作る埴輪や壁画、勤労現場の中でのちょっとした遊び心とセンスが
古墳造りの職場を和ませたのかもしれない。
芸術とは、勤労現場での『福祉』みたいなものだったのかもしれません。
というわけで、たぶん疲れてますな、私も。
疲れてる時は、遊びが足りんのです。
今日は勤務現場で遊ぶしかないですね。グランドに前方後円墳型に土でも盛るかな。
