このところ、主に勤務でのことなんですが
「『相手のために』と思って気を使ったつもりが、空回りしたなぁ」と見えるようなことが
けっこう立て続けにあった。
それは結局、私が「相手のために気を使った」ことの中に
私自身が自己満足で「気を使った」部分が多少なりともあって、
それを「空回りした」と感じているのだと思う。
最近観た、10月期の松原靖樹プレミア会員サービスで配信されたショート動画
「忘れやすいと『共依存』」で、
「気配り・心配りは、自分の人生を進めるために使う。」
(他人を助けて自己満足するために気配り・心配りを使わない)
ってあるんですが、
ほんとにそこのところをおろそかにしているから、こんなことになったんだと思う。
どこかで、「助けてあげなきゃいけない人を、助けてあげないと
悪い状態から脱出できなくなる
まずい状態になる
だから、まず『助けてあげなきゃいけない人』に気を使わないといけない」と思って
行動している。
「相手のために、自分の心を使っている」ことを優先している。
だから、気配り・心配りが自分の目論見どおりに行かなかったときに
「空回りした」「すべった」と感じる。
いろいろすべったこともあるけれど、
実は私は、いつも常にたくさんの人たちにも助けられている
私が普段特に気配り・心配りしていないのに、いつもとても私に気配り・心配りをしてくれる、
本当にありがたい方々が、確かに居る。
そんな方々を、当然ながら私はとても愛し信頼していて、
ほんとはそういう人たちと一緒にいたいし、気配り・心配りを注ぎたい。
そして「気配り・心配りとは、そういう人たちにこそ向けて、
自分の人生を進める助けをしてもらうものだ」と
「忘れやすいと『共依存』」でも語られている。
それなのにさぁ、
「助けてあげなきゃいけない人を助けなきゃ、まずいことになる」って思って行動してるな
人の人生は、ひとのこと。大変だとしても、ひとのこと。
自分の人生を助けてくれる人を、自分のために大切にしていいんだ。
そうやっていこう、私の人生を助けてくれる人のことを大事に考えよう、と思う。
