松原靖樹さんの『千式コラム』(前編) (後編)を読んで、千里の道の始まりに臨む~

 

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「なんだか分からないけどこの人すごい!」というのは、

分かろうとすることを放棄して擦り寄るだけの怠慢である。


「ピカソの絵が日本に来た」というと、美術館に列が出来る。

「ピカソを観た、っていうとなんだかすごそうだから、とりあえず観てみた。」と人々は言う。

で、ピカソのどこがすごかった?と聞いて、明確に答えられる人がどれだけいるか?



顔 「ピカソなんだから、『すごい』ってことでいいじゃん。」

顔 「夫婦なんだから、わざわざ相手を理解しようとしないで、丸ごと受け入れちゃえばいいじゃん。」

顔 「言ってることはよく分からないけど、一緒にいればいいじゃん。」

とただ付いて歩くことを『理解』とは呼ばない。


歩いている相手の姿をじっと観察し続けていることを、理解という。


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【千式コラム】理解③(0141~0150)

星 無理解を軽蔑しろ 0141

理解しようとしない者、浅い理解で止まる者、自分の主観で断言する者、誤った理解を押し付ける者を軽蔑しなければならない。当然受け入れない。同様に、心理学やカウンセリングの知識、スピのリーディングで人を判断する者を侮蔑しなければならない。
理解は当然の権利なのだから、正しく、100%に近く、深く理解されなければならない。その態度を放棄し人間を捨ててる者は蔑まなければならない。


星 オレを理解しろ 0142

書いてあるものが多い。読み込み検証すればオレがどんな人間か理解することができる。動画も多いので発言や体の使い方も観察できる。
書いている(言っている)内容に注目するのではない。なぜそれを書くか、なぜその言い方をするか、なぜあっちではその言い方をしないのか、動画を観てなぜその服を着るのか、なぜ書いていることと違うことを言うのか。
量が多ければ感覚的にでもわかることができてくる。映画を楽しむのではなく、映画の作り手はなぜこの映画をどのように作ろうとしたのか?というような理解の仕方をやってみる。


星 オレは理解を求める 0143

オレは他の誰よりも理解を求める。求めてきた。事実理解なされていない。分量が多く、複雑でわからないからだ。わかりやすいところを理解できる人は少なくない。深く踏み込んで理解している人もいる。
だがもっと理解を示そうとするべきだと思う。書いてあるものを全て読んだだけではわからないことがたくさんあるはずで、さらに深く知ることができる。オレに対するのに、自分が感動したとか、いろいろと気がついたとか言っている場合ではない。
まだまだオレのことを理解できる余地があるのに、それをしないのは怠慢でしかない。


星 理解が心を動かす 0144

理解が人の心を動かす。こんな簡単なことがわからない。理解がなくても人の心を動かすことはある。だがそのほとんどが「いざというとき」のことであって、普段ではない。普段人の心を動かすのは理解だ。理解しようとする態度、理解するまでわかろうとする心をして人の気持ちが動く。
技術や成果に溺れている人にこのことはわからない。


星 超理解は時間がかかる 0145

理解が心を動かす。だからオレの心はほとんどの場合で動かされない。深く、多く、高いものは理解されにくい。理解しようと思うと相当の時間をかけなければならない。まして自分で自分の理解に相当の時間をかけているなら、それに追いつける者がもういない。

部分的に理解していれば「やるな」とは思う。わかってくれているとも思う。だがそれだけだ。深く、多く、高い人を理解できるようになるには時間がかかる。オレの理解には時間をかけなければならない。
それができるというだけで何がどのように素晴らしいか知らなければならない。


星 理解しながら成果を出す 0146

理解はただの内的作業でしかない。精神力に大きな影響があるとしても何も生み出しはしない。だから人は理解しながら相手に自分がどのように役立てるか、自分を使う必要がある。自分の気力を使う。成果を出す。
オレにどのような貢献ができるかもっと自分の活かし方を考える。それをやりながら理解を深める。成果の関係しか築けないならそれは利害関係でしかない。心は通わない。理解だけを示し、成果の関係がないならいずれ関係は終わる。内面だけで維持できる関係はない。

つまり、自分ができることは散々提供し、かつオレを理解する取り組みをしなければならない。


星 理解の先の理解 0147

理解すればするほど失望することがよくある。相手の器や底が浅いこと、自分をそれ以上はもう生かさないことがわかるからだ。残念な気持ちになり、実際残念な関係になる。
相手を理解し続けるなら、こういうことは起こる。ということは自分も人からそういう諦めを持たれる可能性がある。
理解以上の道を理解しなければならない。見つけることができる者が理解の先に進むことができる。


星 理解ない許しは諦め 0148

完璧な理解は美しい。理解なしで全てを受け入れる!的な理想論とはモノがまったく違う。そんなことは誰でもできる。どこの夫婦でもやっている。理解し合える関係は誰にもできるものではない。そもそも理解が困難だ。
誰もが理解を諦めて妥協によって良い関係を築いている。「違う人間だから」と言い訳する。それが根本的な不一致である前提で進める。
オレはそれを望まない。理解の精度は上げることができる。理解できないから許さなければならないような関係はいらない。理解の関係を求めている。


星 「上」の理解 0149

大事なことは4つに対する理解だ。精神力、気力、美しさ、学び。この4つの理解が基本になる。
心はどのくらい強いか。どの部分では弱いか。そのときどうなるか。
気は配れるか、充実しているか、どこまでやりきれるか。
完璧か、細部に宿るものがあるか。
何をどのくらい知っているか、体現しているか、組み合わさっているか。

自分よりも長けていると理解が難しい。それでも理解はやろうと思えばできる。「上」を理解できる自分、というのを知らなければならない。でなければ自分の上もわからないまま終わる。


星 未知を知る 0150

「上」の理解というのは誰にとっても未知の理解になる。情報や知識もなく、体験も経験もない。通常は理解できないものを理解する必要がある。誰か上の人のことをよく知ることも基礎としてはいいかもしれない。
上の理解というのは「先」のことになる。先がなく世界を閉じている者は結局理解自体ができない。この理解の上に何があるのか?を知らなく、しかし理解しなければならない。

おそらくこちらの方向であろうということに自分を進める。予想しない結果が出る。振り返って「しかしやる前からこれはなんとなくわかっていた」ということを明らかにする。
その繰り返しによって「上」の理解がわかりやすくなる。


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千里の道はここから始まる~松原靖樹講演会~
日時:1月26日(火)14:00~16:00
場所:目黒柿の木坂パーシモンホール
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