私が実家を出て
長く地元から遠い地方で暮らしたり、
離婚してまた戻ってきたりで
いくつかの家庭・環境を経験して
トクしたなぁ、と思うのは、
「人は、似たような価値観のグループで
暮らしている」ということに
気付けたのと、
止むを得ず自分が今いるグループから出て
他の価値観のグループで暮らす機会を
得たこと。
私の生まれ育った環境は
「ツヨい人が
ヨワい人の世話をやく」
グループでした。
介護職の多い環境です。
だから必ず
ツヨい人とヨワい人が
設定されなければいけない。
そしてツヨい人はヨワい人の
世話をやくことで、
支配権を得る。
私と母親が
どうも合わないのは、
私が意外とツヨくて
世話の焼きようがなかった
(つまり、母が私に対する
支配権を持つのが難しかった)のと、
「ツヨい」私が
人の世話を焼くのが苦手だったため、
「ツヨい人がヨワい人の世話をやいて
支配権を得る」グループに
居場所がなかったからです。
その後、私が結婚した相手は
介護職。
同じ「ツヨい人がヨワい人の世話をやいて
支配権を得る」グループでした。
そこでも、
意外とヨワくなく、
だからと言ってツヨくなって世話をやくでもない私は
ダンナに「お前はおかしい」と
言われるんである。
その頃、私は
「ツヨいヨワいを頻繁に入れ替え、
でもあまり世話はやかずに
ただ立場を入れ替え続ける」
というグループがあるのを知る。
これは、飽き性で、人の世話を焼くのが上手でなく、
人を支配するよりも放置できるほうに魅力を感じる私には
とても惹かれる価値観だった。
後になって、
私はその価値観のグループがどこにあるかを知り、
そこで暮らすことになる。
「ツヨいヨワいを頻繁に入れ替え、
でもあまり世話はやかずに
ただ立場を入れ替え続ける」
価値観とは
教育界だった。
センセイは
人の世話を焼くのが得意でもなければ
優しくもない。
あまり優しくて世話をやきたがる先生は
ウツになります。
ただただ、
悪態とか不安とかイライラとかネガティブとかを
身に受けながら、
それをあっさり忘れて、
次の日もそこに立っているのが
仕事です。
怒ったり怒鳴ったり
しまった傷付けた、とか思いながらも
それをあっさり忘れて
次の日もそこに居るのが
仕事です。
何を言っても思っても
人と人の間に支配権はなく、
ただただ言って思って
そこに居続けるという
生き方があるのを
身を持って表すだけ。
親切でなく、優しくなく
飽きっぽく忘れっぽい私には
とても居心地のいい場所です。
生まれ育った環境が
自分にピッタリのグループだ、という人もいれば、
違和感を感じながら
自分に合ったグループを探す人もいる。
その最初は、誰でも
「人は、同じような価値観のグループで
暮らしている」ことに気付き、
「いろんな価値観のグループが存在する」ことを
知ることだと、思うのです。
