「自分が変わらなければ、幸せにはなれない」と思い込んでいれば、
周りが自分を変えてくれることを望む。
「周りが変わらなければ、幸せにはなれない」と思い込んでいれば、
周りが変わってくれることを望む。
逆にいえば、
「自分が変わることで、幸せになれる」と信じていたら、
周りが変わることを許せないし、
「周りが変わることで、幸せになれる」と信じていたら、
自分が変わることが許せない。
それは、
自分と周りとのコントラストがどれだけできるかどうか、で
「より幸せになれたかどうか」を
確認したがるからだと思う。
自分と周りとのコントラストがつく、というのは
自分の輪郭がハッキリと見えるようになること。
それを「幸せ」と感じる、ということは、
自分が周りに混じってはっきりしなくなることを
どれだけ嫌っているか、ということだ。
溶けてしまうと、自分は無くなってしまうのではないか?
と恐れるのは、
過去に依存や妥協で自分が無くなってしまったことを
とても恥じて、恐れているからだ。
コントラストが無くなった過去を思い出しての、恐れ。
自分が自分の色を消して、相手や周りに合わせてしまったことによる
「コントラストの無さ」と、
自分も周りも変わらない、または
自分も周りも変わってしまった結果の
「コントラストの無さ」は
違う。
依存や妥協から立ち上がって
コントラストを手に入れた次は、
やっと手に入れたそのコントラストを
手放すのを恐れないこと。
周りが自分を変えるように
自分も周りを変えてしまうものだ、
そうやって「私たち」が変わる、ということ、
その「私たち」というコントラストの無さを
受け入れる段階が、次に来る。
「私たち、というコントラストの無さ」を
受け入れる段階に来たら、
今まで「自分を変えて、コントラストをつける」努力をしてきた分を
周りを変えてしまうかもしれない勇気に使う。
自分が一人で楽しんできた
変わる楽しみを
周りにも分けてみる。
その時、
恐れていた「コントラストの無さ」は
ただ、コントラストが常に生まれては混じっていたのだと
気付くのだと思う。
