このブログを読んでくださっているかたは
とっても頑張りやさんではないでしょうか?

幸せと豊かさを望み
自分の心に真摯に向き合い、
周りの人たちを愛して調和を大切にし、
行動も投資も惜しまない。


なのに、どうして
このもやっとした心の重さが
なくならないのか?
どうして
「私の毎日は愛と豊かさしかないのです♪」って
報告できるような
薔薇色綿菓子の日々が現実にならないのか?
こんなにがんばってるのに?
(余談ですが、薔薇色綿菓子って漢字がなんか豪華。)


ええ、私もそうです。
(私も薔薇色綿菓子です、ではなくて、その前。別に薔薇色綿菓子でもいいですが。薔薇色綿菓子が気に入りすぎて進めないので先に行きます。)


なぜ、がんばっても
がんばらないようにがんばっても
素敵な現実が創造できないのか?

それはね、

山の遠い頂きを見上げながら
旅をするのが好きだから、だよ。

「あの山の頂上に上るのが夢」って言いながら、
そうそう私も、とか仲間を集めながら、
時には「あの頂上を目指さない人たちって、
あの頂上があることに気が付いてないんだね。」って話したりしながら、
テクテクテクテク、旅をする。
いつまで経ってもたどり着かない
「あの頂上」に向かって。



あの頂上には
愛と豊かさの園があるという。
全ての愛と、全ての豊かさが
その楽園にあるという。
どんなめくるめく愛と豊かさだろう!
それこそ薔薇色綿菓子のような。
(気に入ってるのでもう一度使わせてください。)


何億円?
どんなプレイ?
(すみません、お子さんのいるご家庭はPC画面のここさりげなく手で隠してください。)

想像なんてつかないや。
(もうプレイ想像しなくていいです、
普通に愛の定義のことでいいです。)

想像なんてつかないから、
たどり着いて目にすることだけを
楽しみに
旅をする。



私たちは、想像もつかない世界を夢見ながら
旅をするのが好き過ぎて、
あの頂きにたどり着かないことに
ちょっと安心したりしてないかな?


ほんとは
愛も豊かさも想像できる。
想像した途端、
それはやっちゃえば手が届くことになって
「あの頂き」は
サラサラとかき消える。

夢見ることが生きがいだった姫様や
道中の戦いを勝ち抜いてきた勇者や
歩き続けるための偉大な知恵を説いてきた賢者や
旅行記を書くのが楽しみな私は
そんなことになったら
これから何をすればいいのか?


だから、
その靴の下に
愛と豊かさを踏みにじりながら、
遠い山を見つめて
「愛と豊かさって、遠いねぇ」
と手をかざして眺めている。



我が親愛なるパーティーのメンバーよ、
「あの頂き」にもうたどり着いてしまっていることに
私たちが気付いたら、
私たちはきっと今の役割を
失職するだろう。
何者でもないただの私に
役割はクリアされ、
愛と豊かさのただ中に
放り出されるだろう。

それはちょっと怖い。


怖いが、
旅の目的地は
もう、その足の下にある。

いざ着いてみると、怖いね
さまよえる旅を終えるのって。






「いざ着いてみると、
あなたも私も薔薇色綿菓子屋さん」というオチに
無理やり持っていきたかったのですが、
さすがにキツかったです。







iPhoneからの投稿