元の旦那には申し訳ないが、
私が結婚した理由は
旦那を愛していて片時も離れたくなかったのではなくて(・・・)、
「結婚」というものを
してみたかったから。
そして、
子供を持って親になって
子育てをしてみたかったので
子供を産んだ。
生まれ育った場所を離れて暮らしたのも、
一度故郷を離れて生活してみたかったから。
その後、
結構過酷な結婚生活があり、
やたらと多忙なのに
ボランティアばっかで全然豊かにならない
暮らしがあった。
その時は
「誰かのせいで、何かのせいで
私はこんな苦労を強いられている。
でも、頑張り屋で努力家の私だからこそ
耐えられるのよ!」なんて
思っていた。
でもそれは、
「頑張り屋で努力家の私だからこそ
耐えられる生活」というものを
私が、経験してみたくって
引き寄せた現実だったのだろうと思う。
ちょっとおもしろい例がある。
私が結婚して暮らしている頃、
ちっちゃいボロいテレビしか家になくって、
エアコンも設置していなかった。
私はそれを
「ケチな旦那だから仕方ないし、
私に買い揃えられる財力もないし」と思っていた。
離婚するために私が家を飛び出してすぐ、
元旦那は
大きな最新のテレビに買い替えて
エアコンを設置したらしい。
テレビの買い替えや、エアコン設置を許していなかったのは
元旦那ではなく、
私だったのだ、と分かった。
そこまでして、
私は
「頑張り屋で努力家で
人には耐えられないようなひどいことにも耐えられる
偉い私」で
いたかったのだと思う。
その後、私は離婚して
シングルマザーになってるわけですが、
こうなるだろうな、というのはかなり前から予感があった。
私は、シングルマザーに
とっても憧れていたのだ。
精神的にも経済的にも自立して強く、
自分で生活を決定できる自由さがあり、
子供という家族がいる。
そんなシングルマザーっていいなぁ、
なりたいなぁ、と。
晴れて憧れのシングルマザーをしている私。
とても楽しいです。
もちろん、結婚生活を捨てたことで失ったものもあるけれど、
精神的・経済的に自立して、自分に決定権と責任があって
子供と暮らす、この生活を体験出来て良かった。
ただ、私の中で
「頑張り屋で努力家で
人には耐えられないようなひどいことにも耐えられる
偉い私」を経験し続けよう、とする思いが
しつこく残っている。
これは初期データだから変えられないでしょ、みたいな顔で
居座っている。
だって、長いこと
それを楽しんできたから。
次から次にやってくる、「人には耐えられないようなひどいこと」を
次々と克服する達成感が
たまらなかったから。
その楽しみを失ったら、私は何を楽しみに生きていけばいいの?って
思ってる。
いい加減、
この遊びに飽きろよ私。
「精神的・経済的に自立して、自分に決定権と責任があって
子供と暮らす」という、今の楽しい経験に
例えば、
「愛するパートナーがいる」とか
「お金持ちで豊か」とか
「時間が自分の自由でゆとりがある」とかを
プラスしたら楽しいのかどうか、
私は知らない。
そういう経験をしてみたい、という思いはあるけど、
それが
「ひどいことに耐える達成感」よりもエキサイティングなのかどうか
知らないから、
「ひどいことに耐える生活」という経験を
手放せないでいる。
(それを世間は「M」と言う(笑))
いろんな経験を求めてきているのは
その経験にどんなエキサイティングがあるか
体験したかったから、というのなら、
そろそろ
新しいプレイをしようか。
自立したかっこいいシングルマザーが
とってもお金持ちで豊かに暮らしてる。
いつも自分のしたいことをして
忙しい時もゆったりしている時も自分次第。
そして、誠実で愛にあふれる聡明なパートナーに
「君は僕の女神だ!」と
花束を差し出されている、
そんな女王様プレイはどうかね?あたし。
おお、結構エキサイティングかも。