私は、他人の不機嫌に敏感で、

それは誰でもそうなのかと思っていたが

違うらしい、と最近になって気が付いた

人の不機嫌に敏感で

人の機嫌によって自分の行動や考えが決まってしまうのは

「共依存」のある関係の特徴らしい。



私は共依存の強い環境で育って、

共依存ベースの人間関係が当たり前になっていた。

だから、

共依存でない、つまり

「人が認めてくれるかどうかが基準」でない人間関係というのが

どんなものなのか知らなかった。


「人が自分を全面的に認めてくれること行動の基準とする」価値観から

「自分が本心からしたいことを行動の基準とする」価値観へ

変換してしまったら

生きていけるのだろうか?という恐怖はあるが

自分を最大限に生かして社会で生きるには

どうしても、自分が本心からしたいことを基準として

行動しなきゃいけない。

それで、

意識的にも無意識にも

価値観を変換しようともがいてきたのだ。




そもそも、自分が本心からしたいことってなんだろう?

私は実はそこから分からない。

自分が本心から求めていることを知るためには

「人が認めてくれるかどうかが基準」という価値観を

手放さなきゃいけない。

「人が認めてくれるかどうかが基準」という世界の中で生きていたら

人が認めてくれることは何か、という頭でしか考えられないので

好きなことは浮かんでこない。

これが好きかも、と思ったことさえ、

実は「人が認めてくれるから好き」なことだったりする。





共依存の関係、つまり「相手の考えや行動を自分と同じとする」関係から

価値観を変えるというのは、

認めてもらうことを諦める、ということだ。

共依存の人間関係で生きてきた人間がこれをやるというのは、

今までの周りの人間関係、特に身近な人間関係を

失う、ということを意味する。

そりゃあ、怖いわな。





私は、今必死で

「共依存」の価値観から抜け出そうとしているので

周り、特に身近からすごい抵抗があります。

それが「共依存帝国の抵抗」だと気が付かないときは

ごめんなさい私が悪かったの、と

共依存に逆戻りしたりもした。


今は、

「ああこれは共依存の抵抗だな」と

ある程度気が付くようになったので、

心がざわざわしたり、恐怖を感じたりしながらも

踏みとどまって、

前みたいに相手の機嫌を取りに戻らなくなってきた。



共依存から抜け出すのは、

自分が共依存関係のある人たちにとって

「役に立たない、気の利かない、優しくない」人間になること。

私って非情だよなぁ、と辛く感じることもありますが

それが、共依存の罠。



本当の心からの人間関係は

お互いの心と行動を大切にするはず。

自分と違う相手の発想を大事に認めるはず。

役に立たなくって、気が利かなくて、都合が悪くて、優しくないって思われることも

あるかもしれないけど、

それでも自分は唯一無二で大切。

そんな世界が実際にあるはずだと信じて、

私は共依存帝国の抵抗との戦いの真っ最中です。