先日の仕事納めの日、

いつも通りひたすらチョコ工場でチョコ作っていたら

突然、


「どうして、私はこんななんだろう?」


という思いが降ってきました。



どうして、私は自分が「仕事はすごく出来なくちゃいけない」と思っているんだろう?


どうして私は「嫌な奴や嫌な態度にも我慢して大人の対応をしなければいけない」と思っているんだろう?


どうして私は「結婚生活は上手くいかない」と思っているんだろう?


どうして私は「余裕のないお金で工夫しながらハラハラしながら暮らさなければならない」と思っているんだろう?


どうして私は「しょせん私は独りで、みんなは私のことなど興味がない」と思い込んでいるんだろう?


どうして私は・・・エトセトラ。




どうして、数々のそんな思い込みを抱いているんだろう?


うーーーんと考えると、


そういうのは大抵


「私がそう思うことで、『母が』喜ぶ」と


思い込んでいることだったんだ、と気が付いた。




器用で良く出来て、しまり屋で、結婚生活は不幸な母。


そんな母と同じ価値観を持たなきゃいけない、と


ほんとにほんとに思い込んでいた、と。



もしも、私が「できない子」だったら、


とんでもなく母に軽蔑されそう。


ラブラブな結婚生活を送ってお金持ちだったら


「お前は人として落ちた」と軽蔑されそう、


そう恐れている。




でも、私は本当は知っている。


「できない子」でも愛されることを。


結婚生活がラブラブで、お金持ちなことが


幸せであることも。


何だか近寄りがたいと思っている弟の奥さんや


仲が良かったのに喧嘩別れしてしまった友人が


そういう人だった。


とってもとっても憧れたのに


「そんなものに憧れたら、母に嫌われる!」と思って


私が、逃げ出してしまっていた。


そして、「良く出来て、しまり屋で、結婚生活が不幸」な自分で居続け、


周りにもそういう人間関係を選んできた。




でも、母の価値観を継いで


良かったこともたくさんたくさんある。


子供たちが素敵なこと(母は、「不幸な結婚生活」の中で、子どもたちの存在だけが誇りだと言ってくれている)。


向上心がすごいので、やろうと思った大抵のことは「出来る」こと、異様に器用なこと。


きれいなものが好きで、芸術に価値を見出していること。


神経が細かいので、いろんなことに気が付けること。


健康で体力があること。


自立精神があって、独りを愛し、実際ひとりでもなんとかできること。




これだけいいものを継がせてもらって、


それ以上を望むのは贅沢かもしれない。


でも、それに加えて、


人の期待通りに良く出来なくても、いるだけでOKと愛されること、


幸せなパートナーシップや結婚生活を送ること、


豊かでお金持ちになり、幸せに充分なお金を得て使えること、を


私は選びたいと思ったのだ。



そんな私を


母は「努力が足りない」と軽蔑するかもしれないし


父はたかってくるかもしれない(笑・ギャンブルで家をなくして母と別居中)し、


友人たちは「一緒に頑張ってきたのに、なんであんたは抜けるの・・・」と


悲しい目をするかもしれない。



だけど、


「いるだけでOK」と「幸せなパートナーシップ」と「豊かなお金持ち」は


子供たちや次世代にどうしても継いでほしい価値観。


「私は持ちえなかったけれど、どうしてもあなたたちはこれを見つけてほしい」と


願い続けてきた。


自分が「無価値観」や「不幸な結婚生活」や「お金足りなめ」を一身に引き受けて、防波堤になって、


彼らには、幸せな価値観を得てほしいと。




でも、私がそのために本当にしなきゃいけなかったことは


防波堤になることじゃなかった。


新しい価値観を身に着ける抵抗や怖さを


私自身が経験して、受け入れて


私が新しい価値観を選ばなきゃいけない。



そうすれば、次世代は


その過程を見本に


新しい価値観を選んでいけるはず。


私が想像もしなかったような、新しい価値観も


選んでいけるはず。




それこそ、生涯の念願だと思ってきた


「いるだけでOK」と「幸せなパートナーシップ」と「豊かなお金持ち」の価値観を


周りや、次世代も選べるようにするために


私が、選んでみせる。


新しい価値観を選びたいなら、私の轍(わだち)を踏んで来い、と


言えるようになりたい。




いっぱい、轍を作りたいです。


その為に、意識して進みたい轍を選んで


すでにある轍も踏ませていただいて


価値観を体験してみたい。







2013年に向けて。


ご縁のあった皆さんに感謝。