ラピスラズリ・ガーデンのかお です。
さて、夏至になった。
昨年の夏至は、新しい仕事の研修やら何やらでバタバタしていた。
その前の年も、その前も、
何だか知らないが、毎年夏至はバタバタしている。
そして、今年の夏至は
昨日、離婚届を出して、受理されたので
14年半の結婚生活を終了して、
シングルでのスタートとなりました。
夏至を機会に、振り返って思うこと。
「ゴールは、ない。」
いつも「ここまでがんばれば!」と思ってがむしゃらに進んでも、
いざ着いてみれば、そこは「よーし、これで安泰だ!」のゴールではなく、
新たなスタートに過ぎない。
よって、ゴールは、存在しない。
マラソンのゴールを目指して走ってきて、
やっとこさ「ゴール」にたどり着いたと思ったのに、
そこには新たな「スタート」の旗が立っていて
どうやらその先に次の「ゴール」という名の中間地点がちらほらあるらしいよ、
ということらしい。
だから、
上手に水場めぐりをしたり
景色を愛でたり
出会った人との道行きを楽しんだりしながら
走っていかなきゃ、
持たないね。
何しろ、ゴールはないし。
「ゴールがある」と思っているときには
目的は、ゴールの上にあるが、
「ゴールはない」なら
目的は、いつもそばにある。
その目的の多様さに、悩む。
人さまの目的を、うらやましく思ったり
自分の目的が「間違っているのではないか?」と疑ったり、
他人の目的を見て「それは間違っている!こっちが正しい!」と主張してみたり。
同じ目的を一緒に進める仲間がいれば、心強いけど
ほんとはみんなちょっとづつ違うことは分かっている。
「自分の道を歩んでいるのは、自分しかいない」
その孤独から恐怖が生まれ、
がむしゃらに走ってみたり、
無理やり他の人を自分の道連れに引き込んだり、
不本意なのに他人の道に合わせてみたりする。
安泰な世界と全て許容OKな仲間が待っている「ゴール」は、ない。
ここがひとまずのゴール、と思って走りついた中間地点には多分、
日付が書かれた立て札が風の中に立っているだけなのだろう。
というわけで、
やっとこさたどりついた「夏至」の看板の下でコーヒー飲みながら、
「さて、次の中間地点は?」と地図を眺める
そんな今年の夏至です。