ラピスラズリ・ガーデンのかおです。
私の、幼年期から現在にかけての長年のテーマは、
「自分の感情を抑えるタフさを身につける」
だったように思う。
それは、
「人の感情の起伏に耐えられない」という
とてもデリケートな家庭で育ったから。
感情を抑えていつもフラットでいることが「愛情表現」
という、環境だった。
その後、見事に
「感情を抑える修行」のような
人生を選んできた。
他人に感情があることが理解できない人との生活は
壮絶でした。
気が狂いそうだったし、
相手がこちらに「気が狂って、感情なんてなくなってくれたら楽なのになぁ」と望んでいるのを毎日感じる。
怖かった・・・。
同時に、
「何を考えているか分からない」ことによる
弊害も、一杯あった。
感情を抑えれば、
上手くいくんじゃなかったのか?
感情を抑えることが
「愛」なのではなかったのか?
今思うに、
感情そのものは
「愛」の素でも「悪」の素でも、
何でもない。
ただただ、
そのエネルギーの活かし方なのだ。
人から発生するエネルギーを尊重し、
お互いと、世の中のために利用する。
その配分が問われているのが
今の社会だ。
私の、幼年期から現在にかけての長年のテーマは、
「自分の感情を抑えるタフさを身につける」
だったように思う。
それは、
「人の感情の起伏に耐えられない」という
とてもデリケートな家庭で育ったから。
感情を抑えていつもフラットでいることが「愛情表現」
という、環境だった。
その後、見事に
「感情を抑える修行」のような
人生を選んできた。
他人に感情があることが理解できない人との生活は
壮絶でした。
気が狂いそうだったし、
相手がこちらに「気が狂って、感情なんてなくなってくれたら楽なのになぁ」と望んでいるのを毎日感じる。
怖かった・・・。
同時に、
「何を考えているか分からない」ことによる
弊害も、一杯あった。
感情を抑えれば、
上手くいくんじゃなかったのか?
感情を抑えることが
「愛」なのではなかったのか?
今思うに、
感情そのものは
「愛」の素でも「悪」の素でも、
何でもない。
ただただ、
そのエネルギーの活かし方なのだ。
人から発生するエネルギーを尊重し、
お互いと、世の中のために利用する。
その配分が問われているのが
今の社会だ。