ラピスラズリ・ガーデンのかおです。


「私の人生の願いって、なんだろう?」と自分に問うてみると、

「いつでも、自分のしたいことができること」

だったりします。

自分の自由になるお金、
自分の自由になる時間、
自分で自由に出来る意思決定、
自分で建てた計画を、自分で維持できる自己コントロール、

そういったものをいつか手に入れるためには、
「今は我慢して嫌なこともしなきゃだめかな」と思ったりする。

「いつでも、自分のしたいことをする」ために、
「今は嫌なことを我慢してやる」としたら、
いつになったら、
自分のしたいことができるのか?

もしかしたら、
「嫌なことを『いつか見返してやる』と思いながらずっと我慢する」ことが、
「自分のしたいこと」になっていないか?

「自分のしたいこと」をよーく見つめて明らかにして、
その「自分のしたいこと」をいつもしていたら、
今すぐに「いつでも自分のしたいことをしている」という願いはすぐに叶う。



ちなみに私は「移動する」ことが大好きなので、旅行や街歩き、読書(=意識の移動)のような、場所や状況が変わることをしたがります。
(だから引越しも好き。最近までみんなそうだと思っていたので、子供達に「もう引越ししたくない」と言われて、世の中には引越しの嫌な人もいるのだと気が付いた)

移動って、動くだけで時間もお金もかかるでしょ?だから移動するのが仕事になればいいなと思って、営業職を選ぶことが多いです。
でも、営業は「話をすること」が好きな人の天職。わたしは人に話をすることには、それほど情熱はありません。
それで、しんどくなっちゃうんだろな・・・。
「移動する」まではOKなので、いい線行ってるのでは、と思うのですが、
さらに「いつでも自分のしたいことをしている」要素を増やそう、と思います。