家から少し車で走ったところにある



震災が起きてからずっと、宮崎駿さんはどう考えているのだろうと思いながら、
自分の不安やストレスの浄化のためにジブリ映画を見ていた私ですが、
先月、私が聞きたかったことを語って下さる機会がありました。
先月から下書き保存していたものを今夜はご紹介しますね

長い記事ですが、ぜひ宮崎駿さんのお言葉を読んでみて下さい

スタジオジブリは3月28日、東京・小金井市の同スタジオで会見を開き、
新作アニメーション映画「コクリコ坂から」(7月16日公開)の主題歌を、
手嶌葵さんが歌う「さよならの夏~コクリコ坂から~」に決定したと発表しました。

この時期に映画に関する発表会をやるのがいいかという意見もありましたが、
あえてやることにしました。
私たちは埋葬されることもないまま瓦礫に埋もれているたくさんの人を抱え、
しかも、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある中で
アニメーションを作り続けているんだという自覚を持ってやっています。
私たちは停電になっても仕事を続けようと思っています。
なぜなら今日も郵便配達の人は郵便物を配っているし、
バスの運転手はどんなに渋滞が起きようと運転を放棄しないでいるからです。
コンピューター関係の作業は電気が落ちると混乱が起きるので夜勤体制を組みましたが、
絵は窓からの光でも描けるから、鉛筆と筆のセクションはそのまま仕事を続けています。
こうした状況で、自分たちの作ろうとしている映画が
時代の変化に耐えられるかどうかが最大の関心でしたが、
間違いでないと思いました。
流行っているものはやらないというのがジブリの誇りでした。
しかし、不安だけが生活の通奏低音になるような時代に何を作るのか問われている。
震災があったことで映画の内容を変更することはありませんが、
ヒロインの少女の願いや少年の雄々しく生きようとする姿は、
これからの時代に必要なものだと思っています。
この映画が何かの形で多くの人の力になればと願っています。
映画の企画について簡単に説明します。
原作は30年前、僕が山小屋にいる時に出会った少女漫画です。
当時、この漫画がアニメーションになりえるか友人たちと議論しましたが、
物語に登場する学園紛争がもっとも古めかしく思えた時代だったこともあり、断念しました。
それでも、心の中にずっと引っかかっていて、折に触れていろいろと考えていました。
ある時、森山良子さんの歌う「さよならの夏」を聴く機会があり、
「主題歌ができてしまった」と感じました。
繰り返し人に恋してしまう初々しい気持ちが大切だという歌で、すぐに好きになりました。
もともと日本テレビ系で放映されていたドラマの主題歌ですが、
皆様の協力でまったく別の作品に使わせていただくことができ、感謝しています。
ここ2、3年、映画の企画を考えるにあたり、
ファンタジーをやる時ではないと感じていました。
あまりにもたくさんのファンタジーが作られゲーム化してしまい、
私たちがその中に飛び込む必要はないと思ったからです。
じゃあ何をやるかという時に再会したのが「コクリコ坂から」でした。
原作と違い、東京オリンピックの前年である1963年を舞台にしていますが、
その頃の若者は、まさか自分がエアコンのある部屋に暮らしたり、
自動車を持つようになるとは夢にも思っていませんでした。
もちろん、そういうことを願っていた人もいましたが、
4畳半の部屋でもいいんだという時代でした。
僕もラジオもテレビもない下宿にいた記憶があります。
その時、どう生きようと願っていたか
――それはどう生きてきたかという事実とは別のことですが――を
形にしたのが今度の映画です。
等身大の人間を描くにはアニメーションは不利な戦場ですが、
そこを潜り抜ければ新しい展開があるだろうと思っています。
脚本作りがなかなか進まず、昨年1月の締め切りから2か月遅れました。
スタッフ全体に迷惑をかけましたが、今の時代に精一杯応えようと作っています。
私たちの住む列島は、繰り返し、台風と地震と津波に襲われてきました。
それでもこの列島は豊かな自然に恵まれている。
ですから、たとえ大きな困難や苦しみがあっても、
より美しい島にしていく努力をする甲斐がある土地であるはずです。
立派なことは言いたくありませんが、
そういう自然現象のなかで国を作ってきたわけですから、
絶望する必要はないはずです。
むしろ考えなければならないのは、
プロメテウスの火をどうしたらコントロールできるか。
私たちの文明はこの試練に耐えられない。
だから、これからどういう形の文明を築いていくかという模索を
始めなければならない。
しかし一方で今は文明論を語る時ではなく、
敬虔な気持ちでいたいと思います。
私はこの地を一歩も退かないと決めています。
残念なのは風評被害とか乳幼児の水のこととか
いろんなことに配慮しなきゃいけないのに、
私と同じような歳の人が水を買い占めていること。
マスコミは人民の愚かさをもっと糾弾してほしいと思っています。
寒さに震え、飢えに苦しむ何十万の人、
そして放射能に立ち向かっている自衛隊員や職員のことを思うと、
その犠牲に対し感謝と…、誇らしく思います。
震災後、ジブリとしては、鈴木(敏夫)プロデューサーが中心となって
具体的な支援に取り組んでいます。
一番必要なところに一番必要なものを届けることが大切なので、
感傷的にお金を出せばいいということではなく、堅実な方法を選んでいます。
内容については、必要な時に鈴木プロデューサーから発表されるでしょう。
今、私自身も新しい作品に取り組んでいます。
この歳ですから思ったように手が動くか分かりません。
いろんな条件が変化していくでしょうから、
前と同じように映画を作り続けられるかも分かりません。
しかしそれでも立ち向かって行こうと思っています。
唯一公開されている映画のポスター画には
『上を向いて歩こう。』と、宮崎駿さんの字で書かれています♪

「コクリコ坂から」は、企画 宮崎駿 ・ 監督 宮崎吾朗作品で、1963年の横浜が舞台。
7月16日の公開が楽しみです

明日はペタ等大幅に遅れますが、どうぞよろしくお願い致します

