どんな教材使ってる? 

 

 今回の読書メモは、『考える歴史の授業』総括論文の最後の1本である若杉温による総括論文をレビューする。考える歴史の授業』を類型化した加藤論文、問いに着目した楳澤論文につづく若杉論文は「教材」に注目して考える歴史の授業を考察している。

 教材と聞いて私が想起するのは、大学の教職の授業で「生徒と教師の間をつなぐものが教材である」と先生が言っていたことだ。そのときはあまりピンとこなかったが、実際に教壇に立ってみるとそれが痛いほどわかった。若杉論文はそのことを掘り下げて考察している。

 

若杉温「どのような教材が「考える歴史の授業」を可能にするのか」

(『考える歴史の授業 下』 pp.232~242)

 

 

1.目次

はじめに

『絵画資料を読む日本史の授業』の出版から学んだこと

 ひとつの絵を徹底して”読む”

 「変だなぁ」探しとの出会い

学問の成果に学ぶ「考える歴史の授業」

 歴史研究と「考える歴史の授業」に共通する営み

 「考える歴史の授業」と教材としての教科書の役割

「考える歴史の授業」は子どもが主役

 どんな教材が子どもの主体性を育てるのか?

 優れた教材が自ら考えたいと思う問いを生む!

おわりに

 

2.著者について

1958年生まれ

千葉県歴史教育者協議会会員、『歴史地理教育』編集長、千葉県立幕張総合高等学校教諭

【主な著作・論文・実践報告】

『新しい歴史教育のパラダイムを拓く』(共著)地歴社、2012年

「近世江戸の稲荷信仰」歴史民俗資料学博士取得論文(神奈川大学)2009年   など

(『考える歴史の授業 下』巻末より)

 

3.要旨

 本稿は前述したように、教材」に注目して考える歴史の授業について考察している。教材論の視点から「考える歴史の授業」づくりについて、若杉の所見が述べられている。そのなかでまず「絵画史料」について注目し、教材となる絵を中心に授業を展開することで、絵画中心の授業ができるだけの教材としての可能性を持つのが絵画史料であるとする。

 

 次に若杉は「変だなぁ」探しについて述べる(「○○なのに△△なのは変だ」)。生徒は教材の中の矛盾を見つけ出し、その矛盾を説得力のある誰もが納得できる説明で説明できるか、といったかたちでさらに突き詰めていく過程を紹介している。

 またこの「変だなぁ」探しは、歴史研究における資料解読の方法に準ずるものであると若杉は述べる。生徒が自ら歴史を史料を用いて読み解く学習は、それ自体が子どもの主体的な学習を生むものであり、楽しくわかるという授業の理想に通ずるものだ、と。

 

 そして教科書とは何か、その授業での役割はどのようなものかという問題について考えなくてはならないと若杉は述べる。生徒は教科書に載っていることはすべて正しいと思いがちだ。しかし教科書を比較することで、生徒のその固定観念に揺さぶりをかける授業を紹介する。

 

 「考える歴史の授業」では、考える主体は子どもである。彼らの興味関心を最大限引き出すための魅力的な教材が必要だ。「ビジュアル教材」はもちろんのこと、「意外性のある歴史事実」を子どもに提示すること。また「身近で具体的なもの」も有効であると若杉は述べる。そして最後に、若杉はまとめとして教材こそがよりよい授業を生む素材であり、それと一体となる問いの良しあしこそが授業づくりの核であると述べている。

 

4.感想など

 本ブログでもたびたび述べているが、前任校は勉強が極めて苦手な生徒が集まる学校だった。そのような環境の中で授業を成立させるためには、なにがなんでも「教材」が絶対不可欠であり、授業成否の鍵であった。若杉論文でも冒頭にエピソードとして述べられているように、A3にカラー印刷してラミネートした絵図を教室にもっていくと、「なにそれ?」「それ知ってる!」と授業前から食いついてくる生徒がいた。

 若杉論文は、全部で5つの観点から教材を例示している。

①「絵画史料(ビジュアル教材)」

②「変だなぁ探し」

③「教科書の比較」

④「意外性のある歴史事実」

⑤「身近で具体的なもの」

 ①の「絵画史料」はまず最初に思いつくものであった。前述した生徒の食いつきのエピソードからもわかるようにとても威力のある教材であることは誰もが認めることであろう。

 また若杉論文ではあまり触れられていないが、映像教材の威力も目を見張るものがある。私はその中でも特に映画はこだわっている。しかし特に映画を教材として使うときの欠点は、授業時間数との兼ね合いがあるという点だ。全編見せると3時間使ってしまい進度的に厳しい…、というジレンマを抱えている教員は少なくないはずだ。

 ⑤の身近で具体的なものについては、教育実習で実践したことが記憶に残っている。ちょうどスカイツリーのふもとにある中学校にいったときが、スカイツリー開業の間直の時期であった。そこで、ヴェルサイユ条約でドイツが背負った賠償金はスカイツリー何本分?といった問いを発した時、生徒の受けはとても良かった。

 ②から④については、意識せずにやっていたこともあるのだろうが、これまでの3本の総括論文で理論化され、可視化されたのでこれからこの観点を発展させていこうと思う。

 

 最後に本論文を読んでいてハッとしたことは、教材と問いが授業の核である」という総括論文最後の部分である。あたりまえのことを突き付けられるとハッとするもので、たしか大学の授業ではそのようなことをいっていたことは覚えているが、恥ずかしながら現場に立って日々を忙しくすごしているとそのことを忘れてしまっていた。

 Twitterでも問いについての議論が盛んに交わされている。私はどちらかといえば教材を発想する方が得意な方なので、Twitterも参考にしながら、いつ始まるともわからない暗黒の日々を準備をしながら過ごしていこうと思う。

 

明けない夜などないのだから。

 

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