守破離という言葉がある。Wikipediaによると、この言葉は利休の教えがそのルーツにあるようだ。茶道などの修業に際して、まずは師の教えを徹底的に「守る」ところから始まる。師の教えを完全に「守る」ことができた者は、それを自分に合ったより良い型を模索し試すことで、既存の型を「破る」ことができる。さらに鍛錬・修業を重ねた者は、既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。

 

 多くの授業者は「守」の部分で悩むのではないだろうか。4月、まっさらな状態で現場に投げ込まれた初任者は真っ白な状態で授業に臨むことになる。初任者研修の教官の支援はあるものの、初任者にとって守るべき型は学生だった頃の先生くらいのものではないだろうか。特に高等学校の授業の場合、この傾向が強いように思う。いいように言えば「好きに授業ができる」のだが、いくら大学で学んできたとはいえ、まっさらな状態で「主体的・対話的で深い学び」をさぁどうぞやってください、と言われてもなかなか難しいのではないだろうか。

 

 今回紹介する加藤論文は初任者が考える歴史の授業を展開するうえで「守る」べきひとつの型を示してくれている。

 

 


加藤公明「「考える歴史の授業」はどのようにして生徒を歴史認識の主体として成長させるのか」(「考える歴史の授業 下」(pp.216~231)より)

 

1.目次

はじめに

ぜひとも知りたい疑問を持ち、確かめたい仮説を立てる

 歴史を自分事として考える

 共感を媒介として

  内在的な歴史認識の方法

 意外性を媒介として

  客観的な歴史認識の方法

   (1)生徒の歴史認識と矛盾する事実を指摘する

   (2)矛盾する事実を生徒が発見する―「変だなぁ」探し

   (3)比較する授業

   (4)異見との出会い

討論はいかにして生徒の歴史を考える力を伸ばすか

歴史観の発達と歴史意識の成長

アクティブラーニングと「考える歴史の授業」について

おわりに

 

2.著者と本書について

 本書の前書きでは、生徒が主体的に歴史を考え、調べ、話し合い活動や討論など意見交流をして、各自がそれぞれに自分の歴史認識を発達させ、歴史を科学的に探究する姿勢や意欲、能力を獲得していくような授業を「考える歴史の授業」と定義している。本書はチョーク&トーク形式の授業や暗記至上主義からの脱却したそのような「考える歴史の授業」をあつめた実践報告集である。今回紹介するのは、その総括として終章「考える歴史の授業の理論と方法」に書かれた加藤公明の総括論文である。

3.要旨

 今回の加藤論文は、「考える歴史の授業」に掲載された授業を分析し、その歴史教育としての意味と価値を考えている。そのなかで加藤は、「考える歴史の授業」を成立させるための最大のポイントは、歴史を他人事ではなく自分事として考えさせることであると述べる。そしてそのためには「共感」と「意外性」という2つの方法があるとする。
1. 「共感」 …内在的な歴史認識の方法であり、生徒を歴史の現場に立たせて、君が当事者だったら、どのように思い、考え、発言し、行動するかを問うもの。
 しかし、「当事者のように考えろ」といってもそう簡単には生徒はのってこない。「共感」を媒介とした授業を行うためには、入念な教材研究が必要であると加藤は述べる。それぞれの時代や地域の民衆の実情を知り、その困難や苦痛、民衆の努力や思慮を考えることで、生徒は自分がその民衆の一員だったらどうするか真剣に考える。生徒が真剣に考えるための準備を教師がしっかりとすることで、生徒は歴史を自分事として捉えられるようになる。
2.「意外性」…客観的な歴史認識の方法であり、生徒の既有の知識や常識、イメージに反する、ないしは説明できない、生徒にとって意外な事実を提示し、問うもの。加藤論文では4つに類型化されている。
①既存の認識やイメージと矛盾する、上手く説明できない事実を指摘するタイプ
②生徒自身が意外な事実を発見するタイプ。「変だなぁ」探し
③比較タイプ …教科書の比較、同一テーマを描いた2つの絵画資料の比較
④「異見との出会い」タイプ …原爆投下に対する様々な意見

 また加藤論文は、討論や話し合い活動にも着目している。詳細は本書を読んでいただくとして、その骨子のみをここで紹介すると、生徒が主体的に歴史を考えるようになると自ら仮説を立てるようになる。生徒は各々で仮説を立てるのだが、討論は単なる意見の発表会ではない。各自の仮説の真実性=説得力が吟味される検証の場である。そこで問われるのは実証性と論理性、個性・主体性であると加藤は述べる。このような活動を通して、生徒の歴史を考える能力は獲得され、向上していくのだ。

 加藤は他にも「歴史観の発達と歴史意識の成長」や「アクティブラーニングと「考える歴史の授業」について」という節を設けているが、これも本書を読んでいただくことによって代えさせていただく。

4.感想など

 3.要旨で特に注目した「考える歴史の授業」の類型化はとても頭のなかが整理されたような感じがした。自分の勉強不足もあって、授業を作るときは常に暗中模索していた。生徒が歴史を自分の頭で考えるためにはどうしたらいいだろうか。暗記至上主義を脱するためにはどうしたらいいだろうか。
 これらの問いにおそらく正解はない。100人の教師がいれば100通りの回答があるだろう。しかし今回の加藤論文は、彼の長年の経験に基づく糸口を示してくれている。冒頭で述べた守破離の「守」の部分を明示してくれている。
 歴史を自分事として考えるためにはどうすればよいか。この大きな問に対する答えを日々の授業で実践することが大切で、その方法は「共感」と「意外性」であると論文の中で加藤は述べている。いわゆる若手と呼ばれる世代の教師は、このことを「守」って、自分なりのスタイルを模索する。そして加藤スタイルを「破」って、従来の方法から「離」れてあたらしい自分なりの授業スタイルを創造する。このことによって日本の社会科教育は変わっていくのではないだろうか。