はじめに

 戦列歩兵の登場は、社会に変化をもたらした。前述したように、兵士に求められる素質が技術・卓越性から従順・規律へと変化した。戦術の変化と兵士に求められる資質の変化は、社会に大きな影響をもたらした。1950年代以降、この変化は軍事革命として指摘されてきた。

 

 古典的な軍事革命論

戦列歩兵を用いた横隊戦術は、「戦術の革命」であった。この革命を経て、ヨーロッパ各国は数万規模の常備軍を維持し始めるようになり、「兵力の革命」をひきおこした。そして指揮官たちは、この大規模な軍勢をつかって戦うために長期的な、そして複雑な戦略を考えるようになり、「戦略の革命」が生じる。そして大規模・複雑化した軍隊は社会に大きなインパクトを与えることになる。急激な軍事拡大は国家への権力集中をもたらすいっぽうで、租税徴発や人的資源の搾取、つまりは一般市民への負担となった。以上のような4つの革命は、J.M.ロバーツによって軍事革命論として提唱された。ロバーツの「戦争の手段と手法の変革が国家を作った」というテーゼは、軍事革命論の根幹をなしてきた。

 

パーカーによる批判・修正   ---イタリア式築城術---

約半世紀前に提唱されたロバーツのテーゼは批判・修正を受けて、現在に至っている。ジェフリ・パーカーはロバーツのテーゼに3つの修正を試みた【表1】。特に注目するべきは、3点目の「軍事革命の根本原因」に修正が加えられたことであろう。ロバーツが戦列歩兵による斉射戦術に原因を見出したのに対して、パーカーは城塞の設計に革新がおこったことが軍事革命の根本原因であったと主張する。火薬がヨーロッパの歴史に登場すると、小銃よりもおおきな大砲が戦場に出現する(小銃よりも大砲のほうが技術としては先に登場し、発展していくのだが)。大砲が攻城戦で城塞を陥落させるために使用されると、それまでの石造りの高い城壁は脆くも攻城砲の前に崩れ去った。防衛側はこれに対抗するために、堡塁を備えたジグザグ型の従来型の城壁よりも低い城壁を備えた特殊な築城術を開発する。イタリア戦争のさなかにイタリアで登場したため、これは「イタリア式築城術」と呼ばれる。日本では五稜郭がこの築城術を取り入れている【図】。

パーカーはこの「イタリア式築城術」に軍事革命の根本原因を見出す。大砲の改良によってそれまでの高い城壁と尖塔をもつ城は旧世代のものとなった。防衛側はイタリア式築城術によって大砲に対抗した結果、時代は城塞が容易に陥落させることができない時代に逆戻りした。兵士の多くは決戦が行われる戦場ではなく要塞などの守備隊として勤務していたものの、軍隊の兵員数は膨張した。パーカーは、ロバーツが言うところの「兵力の革命」の原因を、城塞を破壊する手段とその克服に見出したのだ。

 

 

参考文献

著:ジェフリ・パーカー、訳:大久保桂子『長篠合戦の世界史 ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500~1800年』、同文館、1995年。

大久保桂子、「ヨーロッパ「軍事革命」論の射程」『思想』881、pp.151-171、1997年。
大久保桂子、「軍事史の過去と現在」『國學院雑誌』98(10)、pp.30-44、1997年。 

 

 

【シリーズ:軍事から見る世界史 目次】

1.序文

2.古代:帝政ローマにおける軍事戦略と皇帝像の変化

3.中世:未定

4.近世:戦列歩兵の誕生と社会の変化

5.近代:機関銃の衝撃

6.現代:未定

7.おわりに

  

前回:オランダ式教練とグスタフ・アドルフ

  https://ameblo.jp/lapislapis23/entry-12542907364.html

次回:補論② 西洋における大砲の登場とその影響

 

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