1.「オランダ式」と斉射戦術

 フス戦争やイタリア戦争の時期は、マスケット銃兵はパイク兵の援護が主な役割であった。ジシカの車両要塞やイタリア戦争における2つの戦いでは、マスケット銃の攻撃的な運用に可能性が示された。しかし依然として軍隊の主力はパイク兵や騎兵で、マスケット銃兵が軍隊の主力を担うようになるにはまだ時間がかかった。

 マスケット銃の最後の転機は、オランダ独立戦争(八十年戦争、1568~1648年)のさなかであった。ナッサウ伯マウリッツはオラニエ公ウィレム1世の息子であり、オランダ独立戦争を指導し、その中で古代ローマの制度を手本にして軍制改革を行った。マウリッツ以前の軍隊は、冬季の休戦や作戦終了時に兵士の大部分を除隊するのが一般的であった。また兵士はその大部分が傭兵であった。彼が行った最も重要な変革は、軍隊を解散せずに維持し「常備軍」を創設したことであった。傭兵を恒常的に維持しておくことで、年間を通して兵士を訓練できるようになり、彼らに規律と教練を施すことができるようになった。バラバラだったマスケット銃の規格や操法、号令も標準化された。この規律と教練は「オランダ式」として体系化された。

 マウリッツの改革と同時期に、横隊が一斉にマスケット銃を発射する戦術が考案される。これはまず第一列の兵士たちが一斉射撃をおこない、彼らはこのあとすぐ回れ右して、再装填の作業をしながら縦列の間を背進して列の最後尾につく。そして二列目以降の兵士たちも、同じ手順でこれに続く。最初に最前列にいた兵士たちが再び最前列に戻ってきたときには、すでに再装填を終えて斉射の用意が整っているというわけで、この手順が繰り返された。以上のような射撃は背進射撃(カウンターマーチ)と呼ばれた。

 斉射戦術が考案されると、自軍の発射効果を最大限に発揮して敵の銃撃の攻撃目標をできるだけ拡散させるために、軍勢は戦闘にあたって広がらなくてはならなかった。つまり兵士に長い横隊を組ませれば組ませるほど同時に発射できるマスケット銃の数は増えて自軍の火力は上昇し、敵は火力を集中できなくなるわけである。このような斉射戦術を戦場で展開するには、個々の兵士が迅速にそして一度に決まった動作を繰り返す必要がある。厳しい訓練が施され、規律が叩き込まれたことは容易に想像できる。

 

2.グスタフ・アドルフと三十年戦争

 グスタフ・アドルフ治世のスウェーデンが、三十年戦争(1618~1648年)で「オランダ式」の効果を実証することとなる。17世紀前半から18世紀前半にかけて、スウェーデンは「バルト海帝国」を形成した。その最大の功績者がグスタフ・アドルフであり、彼はマスケット銃兵の一斉射撃、サーベルで武装した騎兵の突撃、砲兵隊による支援砲撃を組み合わせた三兵戦術を創出した。

 この三兵戦術を展開するために、スウェーデンでは徴兵制による常備軍が設立される。連隊は同郷出身者からなる兵士で構成され、その下位区分として中隊が設定された。また各歩兵連隊には、中隊をまとめた大隊も設定され、この大隊が三兵戦術の基本単位とされていった。これによって、士官や下士官を増員したことで、戦場で規律をもった軍事行動が可能になり、ここに国王を最高司令官とする上意下達の指揮系統が確立されていった。

 グスタフ・アドルフはスウェーデン軍を強化した。スウェーデン軍は「オランダ式」に則り、絶え間ない教練と演習を繰り返して厳しい規律と高い練度を実現した。またマスケット銃を短く軽量にすることで、マスケット銃兵の機動力を高め、兵士の弾薬の詰め替え時間を短縮した。また軽量の可動砲を歩兵部隊に配備することで、歩兵の火力を増強した。スウェーデン軍は火力重視の戦術を採用したので、オランダ軍よりも浅く横に長い隊列で展開した。「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ・アドルフが指揮するスウェーデン軍は、三十年戦争において重大な役割を演じることになる。

 そして銃剣が発明されると、18世紀までにマスケット銃は短い槍としての役割も果たすようになり、戦列歩兵からパイク兵は姿を消し、純粋にマスケット銃兵のみの横隊戦術が誕生するのであった。

 

3.おわりに

 15世紀にその原型となる兵器が登場してから17世紀にかけて、マスケット銃の役割は大きく変化した。中世の重騎兵を主役とした戦術は過去のものとなり、パイク兵の登場によって重騎兵は主役の座を歩兵に譲った。マスケット銃は弓や弩などの飛び道具と同様に、パイク兵を支援する補助的な兵器として最初は登場した。しかしフス戦争やイタリア戦争を経るにしたがって、マスケット銃を攻撃に使う傾向が生じた。防御陣地から敵兵を射撃することの有効性や偶然の産物ではあるものの防御陣地なしでも騎兵に対処しうることが証明された。そしてオランダ独立戦争におけるマウリッツの改革とそれを継承した三十年戦争におけるグスタフ・アドルフの活躍で、マスケット銃を装備した戦列歩兵による横隊戦術は完成する。背進射撃のような斉射戦術の射程と威力は、パイク兵同士の肉弾戦に比して革新的であった。その攻撃力を高めるためにマスケット銃兵とパイク兵の比率はしだいにマスケット銃に傾き、戦列は敵の突破を防ぐための分厚さ(縦深)よりも攻撃力を高めるための横幅が求められるようになった。

 このような戦術の変化によって、兵士に求められる質も変化した。兵士は厳しい訓練によって、規律と従順さを叩き込まれた。この変化に対応するように、ヨーロッパ各国がその兵力を増大させていくようになる。増大した兵力は、その運用において複雑化した。指揮官たちはより長期的な、複雑な戦略を考えるようになる。大規模・複雑化した軍隊のコストは社会の負担となり、その一方で、「国家」への権力集中をもたらした。戦列歩兵の登場とそれに伴う社会の変化は、「軍事革命論」として戦後の歴史学のテーマのひとつになってきた。

 

参考文献

・著:クリステル・ヨルゲンセン、マイケル・F・パヴコヴィック、ロブ・S・ライス他、訳:淺野明 他 (監修)『戦闘技術の歴史3 近世編』、創元社、2010年。

・著:バート・S・ホール、訳:市場秦男『火器の誕生とヨーロッパの戦争』、平凡社、1999年。

・古谷大輔「近世スウェーデンにおける軍事革命:初期ヴァーサ朝期からグスタヴ2世アードルフ期におけるスウェーデン軍制の展開」『大阪大学世界言語研究センター論集』3、pp.1-28、2010年。

 

 

【シリーズ:軍事から見る世界史 目次】

1.序文

2.古代:帝政ローマにおける軍事戦略と皇帝像の変化

3.中世:未定

4.近世:戦列歩兵の誕生と社会の変化

5.近代:機関銃の衝撃

6.現代:未定

7.おわりに

  

前回:フス戦争とイタリア戦争

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次回:補論① 軍事革命論

次々回:補論② 西洋における大砲の登場とその影響