1.マスケット銃とは?

 さて本格的に戦列歩兵の登場について論を進めていく前に、マスケット銃について定義する。マスケット銃とは、銃身に螺旋状の溝(ライフリング)が施されていない先込め式の小銃である。敵に致命的なダメージが与えられる距離は100~120m以内であった。日本では火縄銃や種子島という名前で知られている。

 1450年頃にマスケット銃の原型ともいうべき最初のマッチロック式小銃が現われ、アルケブスArquebusと呼ばれた。このアルケブスは様々なバリエーションが登場し、そして様々な呼び方でよばれるようになる。本来的な意味でのマスケット銃とはアルケブスの亜種の1つで、16世紀後半に登場した大型のアルケブスを指すものであった。17世紀半ばになると「マスケット銃」は戦列歩兵が装備する小銃の一般的な名称となった。

 初期のマッチロック式マスケット銃は、戦闘中に火種を消さないことが求められた。また飛び散った火花による誤爆という問題も抱えていた。しかしフリントロック式点火装置が普及するとマスケット銃の安全性はより高まり、密集した隊列を組んで一斉にマスケット銃を発射する戦列歩兵でも安全に運用ができるようになった(図1及び表1を参照。なお図と解説については『戦闘技術の歴史3 近世編』をもとに作成した)。マスケット銃は砲身に螺旋状の溝をほどこしたライフル銃に取って代わられるまで戦場の主役であり続けた。

 先込め式のライフリングが施されていない小銃は、歴史上さまざまな呼び方でよばれた。本稿では議論の整理のために、時代による呼称の区別なく先込め式のライフリングが施されていない小銃について一概に「マスケット銃」と呼称する。

 

 

2.フス戦争

 15世紀初頭に中央ヨーロッパで勃発したカトリックとフス派の対立に端を発するフス戦争で、火器はヨーロッパにおいてはじめて攻撃的な役割を演じることになった。ここにマスケット銃の役割が防御的なものから攻撃的なものへと移り変わる端緒をみてとることができる。

マスケット銃をはじめとするこの時期の火器は、一発発射するごとに弾丸を装填する必要がある。マスケット銃を装填するのに必要な時間は熟練の兵士でも20秒~30秒で、射手はその間、敵の攻撃に耐えねばならなかった。つまり、火器を含めた飛び道具は防御態勢が整っているときに最大の効果をもたらす。逆に防御態勢が十分でなかった場合、非常に脆弱な兵科であった。

 この戦争でフス派を軍事的に指導したヤン・ジシカは火器をはじめとする飛び道具が、防御態勢をとっているときに最も脆弱であるという弱点を補うために、兵士が無防備なあいだ彼らを守る遮蔽物となる車両要塞(ヴァーゲンブルク)を構築した(上の絵図を参照)。車両は農民が所有していたもので間に合わせに作ったものから、外側に重い木の可動防護版を張った「装甲車」までが車両要塞として戦った。その背後には15~20人の兵士が隠れることができて、そのうちの6人かそれ以上は弩で武装し、2人は手銃、残りは重い穀竿、戦闘用こん棒、斧槍で武装していた。戦闘が予想されると、車両はできるかぎり好都合な地形に移動され、そこで車と車を鎖でつなぎ、その隙間には重い防護版をおいて、台にのせた中口径の砲で守った。二輪車に搭載した中口径の砲も車両の間の隙間を守るために使われた。移動可能な要塞を構築することで、カトリック側の軍勢に対峙した。

 ジシカは車両要塞を構築することで銃兵に防御を施し、いわば城壁を移動させることによって彼らが活躍できる場を攻城戦だけではなく野戦も用意した。これは当時の人々にとっては革新的な出来事であった。

3.イタリア戦争 チェリニョーラの戦いとパヴィアの戦い

  

 フス戦争において、マスケット銃は数ある飛び道具のうちの1つであった。しかし火薬の信頼性の向上や価格の低下によって火薬兵器が一般的になると、イタリア戦争(1494年~1559年)までに前述したパイク・アンド・ショット戦術が普及してマスケット銃は以前より重要な役割を演じることになる。以下に紹介する戦いは、マスケット銃がパイク兵の援護という補助的な役割をこえる働きをした、いわば特異点ともいうべき戦いである。

 チェリニョーラの戦い(1503年4月28日、左図)はイタリア戦争のさなか、ナポリ王国領のチェリニョーラにおいてフランス軍とスペイン軍の間で行われた戦闘であり、最終的にスペイン軍が勝利する。スペイン軍の指揮官ゴンサロは、塹壕を掘らせて、そのなかにマスケット銃兵を配置してフランス軍を迎撃した。この戦いはそれまでのマスケット銃兵の戦場での役割をこえるものであり、「新しい戦術が一人前になった最初の例」とみなされている。根本的な考え方はジシカの戦略と同様である。マスケット銃をはじめとする火器は陣地に守られているときに最高の働きをする。障害物によってフランス軍の重騎兵を足止めして、その間に塹壕の中からマスケット銃兵で攻撃するという戦術がゴンサロによって完成した。ゴンサロの勝利は騎兵を少ししか持たないスペイン軍が重騎兵を主力とするフランス軍に勝った初めての例であった。

 パヴィアの戦い(1525年2月21日、右図)もイタリア戦争のさなかにおきた戦闘の1つだ。ロンバルディアのパヴィア城塞郊外のミラベッロにある広大な狩猟場でスペイン軍とフランス軍が対峙した戦いである。この戦いはスペイン軍による夜間の奇襲に端を発した戦いで、暗闇の中で行われた。マスケット銃兵は暗闇に紛れて、塹壕などの人工の防御工作物なしで、もしくは槍による援護なしに至近距離から騎兵を射撃することができた。突発的に起こった戦闘とはいえ、この戦いで小火器の役割は純粋に防御的なものからより攻撃的なものへと姿を変えていった。

 

 

【シリーズ:軍事から見る世界史 目次】

1.序文

2.古代:帝政ローマにおける軍事戦略と皇帝像の変化

3.中世:未定

4.近世:戦列歩兵の誕生と社会の変化

5.近代:機関銃の衝撃

6.現代:未定

7.おわりに

  

前回:西洋における火薬の伝播とPike and Shotの時代

   https://ameblo.jp/lapislapis23/entry-12539005925.html

次回:マウリッツの改革とグスタフ・アドルフ

 

 

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