アメンバー募集中 朝が明ける一瞬前、闇は一層 濃くなり、冷気がグッと降りる時、

エネルギーを溜め込み、満を持して矢が放たれるまさにギリギリの状態を" 未央 "と言うことを『史記』の中で

知りました。

朝日の輝き、清しさも、この闇での溜めが在ればこそ。人もかくあれ。と長女に名付けました。

春の光も また、然りです。この凍える冬の寒さの中で、ひたすら力を溜めていたからこそ、春は芳しい。

受験生にとって、また親御さんにとって、今まさに厳しい季節を迎えています。

推薦入試、中学、高校、大学入試と続々と続き、落ち着くのは3月半ば。まだまだ、これからが本番です。

言い換えれば、評価が下される時はこれからです。

さて、では評価はだれが下すのでしょう?

私が日本の入試が『?』なわけは、

「チャンスが少なすぎる。」ということ。1年に一回!?

「評価内容が受験生に分からないこと。」

この二つに尽きます。自分がなぜ受かったのか、なぜ落ちたのか、それがわからないで評価を下されても、

改善の仕様が無いのです。勝手に反省する以外、無いのです。

評価を真摯に受け止め、そこから学ぶ体制も出来ていません。

だれのための入試。何のための入試でしょう?

(大学入試は国が違えば、受け入れ方も、制度も様々で、例えば英国の娘の友達は志望大学の要望する点数を

テストでは取れなかったが、自分の才能を見逃すことは貴校の多大なる損失になる。との抗議文を送り、ケンブ

リッジの座を獲得した強者も居ますし、"Gap year(ギャップイヤー)"と言って、合格を取得してから、1年間流浪の旅に出て自分を見つめ直す。或は働き、その間にやっぱり自分にとって大学は必要かじっくり考える時間が持てる期間が設けられています。)

著名な方の本の中に、評価の後に何をするか。

このことの大切さを語る一説がありました。

今、評価が下ります。でも、それは他人が、先方の都合でつけた評価かもしれません。自分のことを、自分で評価する。私はラピスの生徒達に これを求めたいと思っています。誰かのために、誰かに言われて勉強したわけではありません。自分の遣ってきたことは自分が一番良く知っています。この日本という国の中でこそ、自分の評価を下せる人であらねばならないと思っています。堂々と私は、僕は、これで良い。と言い切れること。合格しても、努力を怠れば、すぐに評価は落ちます。合格は一瞬の喜びにしかすぎません。

私は、おめでとうの後に必ず、「これからが大変だね。」と添えています。

さあ、大変なことになった、と思わずして、先の進歩はないでしょう。

逆に、受からなかった人には、「自分を低く見るな!」と言います。遣ってきたことに誇りと尊厳を持つことが何より大切なのです。「でも、落ちたら…。」と、お子さんを心配なさる親御さんは少なくありませんが、子どもは、人は、そんなに弱くも無いでしょう。逆に、合格におごって、サボって行き詰るように、人は弱いものです。

つまりは、努力し続けるしかないんだと、観念して生きていられるかが、大切なんだと思います。

" 自分足るを知る "私自身が、目指していることです。

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2012年に想う事  「幸せを選択する生き方」

 2011年3月11日、私たち日本人は「地震」「津波」「原発」という三重苦を経験しました。

ある日突然、ふるさとがなくなってしまう恐怖を多くの人が感じたのではないでしょうか?

また、現在も進行形である「原発事故」に対して、不安を持っている人も多いと思います。

ある人は「政治」に対して不満を漏らします。でも、その人たちを選んだのは、国民一人一人であり、私自身。

「他人事」として思考停止状態になるのではなく、自分事として感じることが最初にすべきことだったのです。そして、これからの時代に必要なことは、「1人1人が自分の人生に責任を持ってリーダーシップを発揮し、幸せを選択すること」ではないでしょうか?

 震災以降、被災地には世界中から善意と支援が集まりました。

各国メディアからは、信号が消えても譲り合って事故が起らないことや、避難所でも整然と並び食べ物を分け合う姿、自主的に組織をつくり復旧作業を始める日本人の姿に、賞賛の声が贈られました。

 まさに、ソーシャルキャピタル(社会的資本)が世界から讃えられ、悲しみの癒えない中で、逆に被災地の方たちから勇気と感動を頂き、久しぶりに日本人に生まれたことを「誇り」に感じる一瞬でした。

『失われた20年』と言われる期間に失われてしまったものは「日本人としての誇り」だったのではと思います。今、日本は「世界の役に立っているという自覚」が希薄です。これまで、アジアを世界に印象づけるために日本は、大変大きな役割を担ってきました。また、世界中に行ってきた経済的貢献は、日本の部品がなくなると世界中の製品が出荷されなくなる事態を見ても大きいと言えます。技術的にも資金的にも、日本は多大の社会貢献も行ってきました。

 ただ、日本人自身に、その自覚がなくなっている。そのことこそが、大きな問題だと思うのです。

だから、世界中が日本に注目する今こそ、日本人らしさを発揮して「新しい世界観」を発信する機会にも成り得ます。

未来から今を振り返った時、まさしくあの時に歴史が変わったと後世に語り継がれる機会に。この経験を昇華させることが出来るのが日本人だと、胸をはって言えるように。

 では、「新しい世界観」とは何でしょうか?それは、「貨幣経済から貢献経済への移行」に他ありません。

21世紀は「地球人の時代」とも言われています。宇宙船地球号の同じ乗組員として、「奪い合う価値観」から「分かち合う価値観」への変革が求められています。経済大国からの離脱という形ではなく、進化した姿として「貢献経済」の先頭に立つことが「日本が担う役割」だと思うのです。元々私たちは社会全体の利益を考えて行動ができる国民です。世界では「win-win」の発想が叫ばれていますが「売り手よし、買い手よし、世間よし」売り手も買い手も嬉しいどころか、日本人は近江商人の頃から「三方よし」で商いをしてきました。

そもそも「働く」とは「傍を楽にすること」の発想があり、社会問題を解決する手段として事業が成り立ってきたのが日本でした。

そんな日本人だからこそ「地球益」の発想を持って、「分かち合う価値観」を先頭切って体現することが出来るはずです。

また、最近、社会貢献とビジネスを融合させたソーシャルアントレプレナー(社会起業家)という言葉が取り上げられています。

本来、企業は社会に役立つために運営され、お客様からの「感謝の投票」を頂いているはずなのですが、いつの間にか道を外れて、儲かりさえすれば良いという事業を行っているケースも在ることは否めません。そんな時に、「スマートコンシュマー」と言われる賢い消費者が「目利き」の役割をし、本当に未来に良い商品や製品やサービスを提供している企業を選んでいく。それこそが、自分や子孫に対して「幸せを選択する」ことに他なりません。賢い消費者の機能が働いていれば、儲けるためなら何をしても良いと考える会社は自然淘汰されていきます。そして、その「目利き」を正しく行使し、それに応える企業運営を世界に先駆けて出来るのが日本人だと思うのです。もう1つ、これからの世界はより「ホリスティック」になっていきます。「ホリスティック」とは、「統合する」「境目がなくなる」という意味。たとえば、西洋医療と東洋医療が統合され、統合医療やホリスティック医療と言われる分野ができつつありますし、最先端の物理科学と神の領域のように、あらゆるものに境目が無くなって来ています。

各々の国も、境目が薄い時代に向かって行くでしょう。その時に改めて、各々の都市や地域や個人がクローズアップされます。他と比較し、蹴落とし奪い合うのではなく、「自分らしさ」を発揮しながら融合していくことが大切な時代が訪れるのです。その時こそ、他人事ではなく自覚的に「貢献する社会」を選択することが必要になります。その新しい価値観を体現し、広げていくことが日本に求められている役割だと思います。

1人1人があらゆる場面で「幸せになることを選択すること」、それが世界を幸せにすることに他ありません。

日本人には、それが出来る。と私は固く信じています。何故なら、原爆を投下されても、数多の震災に遭っても、立ち上がり、助け合い、復興を果たす、平和を愛する誇り高いDNAが私達日本人一人ひとりに、刻み込まれているからです。

2012年、「自らに徳を積むことを課しなさい」と話せば、「得した体験?」と言い、「一日一善」と言えば「おかわりしちゃ、いけないの?」と返ってくる、いまだ幼い中3生を筆頭に、まだまだ前途は多難ですが、この子達の未来が日本人としての誇りを持って開けていけるように。賢い消費者、賢い父、母になれるよう。

この1年も沢山の言葉、感情に触れさせながら、しっかりサポートして行こうと強く思いました。

やりたいことがわからない…。

将来、何になりたいかわからない。やりたいことが無い。

だから、どこの大学、どこの高校に行きたいかもわからないし、学校の名前も知らない。

そもそも、国公立と私学の違いも解らない。

と、いう子は沢山います。

親御さんの方でも、まだ、将来を決めてしまうのは可哀想だし、遣りたいことが出てきた時、諦めないで済むような学力をつけて貰いたい。取り合えず、学校に付いて行けて、学校の成績が上がれば自信がついて、やりたいことも出て来るかもしれないから…。と。

しかし、この「取り合えず」は中々曲者で、子供の「取り合えず」とご家庭が望まれる「取り合えず」には少なからず、温度差があります。子供も成績が悪かったら、「もっと、良い点取りたいな」は正直な気持ちでしょう。その為に今まで以上に勉強しなければいけない。ということも分かっています。テストが返却される度に、「あ~!!」と本人が毎回、思い、その都度「勉強しよう!」とやる気が無いわけではありません。しかし、もっと出来るようになる為に、自分が思った以上の時間を勉強に費やして、その為に様々なこと(今まで自分が快適に過ごしてきた時間)を思った以上に減らさなければならない、とは中々気づきません。或いは今までやってきたこと(遊び、部活、お稽古事、趣味)も全部やりたいなら、優先順位をそのままにして、その後にやる勉強は気力と体力で踏ん張らなければとても成績は上がらない。それも、やり続けねばいけない!、とも思っていないでしょう。

目標や、どうしても行きたいところがある。という子でないと、意思が揺らぎ、継続は難しいことです。

すると、大人は「やる気が無い!」と怒りだし、挙句に、やる気が無いなら何を言っても、無駄だよね。本人が決めることだから。と…。

そうなると、子供も弱いので、「取り合えず、高校には入らなきゃ。大学もみんな行くから入って、ゆっくりやりたいこと探そうかな。就職にも良いって言うし、何よりみんな高校、大学行ってるのに自分だけ働いているのも嫌だし。」ぐらいは、上からさんざん言われ続けていることなのでインプットされ、まるで自分の気持ちの様に「頑張る!」と応えます。

私自身が、通信にも何度の書いていることですが、特に学生の間は目標も持って歩んで欲しいと思っています。目標の為に計画、戦略を立てる。それにより、時に忍耐を強いられ、時に挫折しそうになり、自己嫌悪に陥っても、あきらめない気持ちを育み、一歩一歩、力を付け小目標から大目標へと達成感を味わうことを大人になる前に経験し、心を強く鍛えて欲しいと思うのです。

また、目標や夢が定まっている子は本当に強いのも事実です。

その反面、目標を見出せない子は、少しづつ勉強が出来る様になって手応を感じても、ゴールに近づく喜びを知らないので、やる気も徐々に失せて行き易い。

実際に、「目標」や「やりたいこと」と、「やる気」とは表裏をなしているとも言えます。

「でも!!」、と私は思うのです。

やりたいことが見つからなかったら、モチベーションが上がらない。やる気が出ない…?

そもそも、「やりたいことがわからない」とは、どうゆうことなのでしょう?

「やりたいこと」がわかっていれば、迷い無く、目指すべくゴールに向かってやる気が出て、そこからは、楽しい人生が待ってる?自分らしい個性を伸ばし、自由に生きるとはこういうことだろう。と、思うのでしょうか?

現実において、やりたいことがわかっていて、そうやって生きている人を見ると、それは必ずしも「楽しい」ということではありません。当たり前のことですが、やりたいことをする、それこそがやりたいことだからそれを究めるということは、半面、必ず苦しことがあるはずです。苦労があり、困難があり、でも、やりたいことだから止めるわけにいかないし、他にやりたいことなどありはしない。究めることには果てが無く、だから、これで満足ということが無い。いつも道の途上です。やりたいことがわかっているということは、本当はものすごく大変なことなのではないでしょうか。

だからおそらく、やりたいことをやっている人というのは、実は、いつもそれをやりたくないと思ってる。

妙な言い方になりますが、やりたいことというのは、自分が好きでやるのではなく、どうしてもそれをやりたい、苦しくてもそれしかないというのは、つまり、「憑かれている」ということではないでしょうか?自分を越えた何かに「憑かれている」から、どうしてもそれをやりたい。人は好きで何かに憑かれることは出来ません。「憑かれる」ということは、文字どおり受身です。自分のやりたいことを自分で探しても見つからない所以がここにあります。

自分にこだわりすぎて、「自分の」人生とか「自分の」好きとか、そんなものは何ものでもないと、一度腹を括ってみると、見えてくるものがあります。そうとしかできない自分も見えてきます。

「個性」というものは、本当はそういうもので、「自分」のために、を一度殺してしまわないと見えてこない。

自分のやりたいことをやるというのは、自分のためにやるのではありません。たとえば、自己精進に励む芸術家の仕事が、広く人々に喜びを与えることになるという事実だけでなく、一番身近な、家庭の主婦業もそうです。一目見て電撃的にビビッと来て、結婚までいくときも、紆余曲折あって、結局この人、に落ち着いても。出会いそのものが人の意図では、どうすることも出来無いご縁があります。その巡り合えた人と苦労を共にしようと自分で決めても、苦労は外からやってくるものだとは限らない。むしろ喜怒哀楽は長い一生の日々に随所、織り込まれています。その日常の中で、進級も昇格も無く365日家族を支えることは、時に息切れもある。完璧ということの無い際限なく、続く仕事です。時には家族が足枷と感じる時もあるでしょう。でも、家族が居るから乗り越えられる勇気も沸いて来る。そうやって人は支えられて生きていることを噛み締めます。自分のこと以上に家族が健やかであることを願って。

であるならば、勉強は自分の快適さの為にやるのではありません。

誰かの為に生きること、それが自分の為でもあるからこそ、力や知識が必要なのです。

ユニセフのパンフレットに「文盲の子達に学校を!」というコピーがありました。

文字を読めないから説明書や契約書の内容が理解出来ないで騙されてしまう被害が多発しているそうです。でも、この日本に於いてさえ文字は読めても詐欺、汚職は消えない。いえ、日本は資本主義の国です。資本主義に於いては安全より、利益です。電気、車、保険の神話しかりですよね。そして、氾濫する情報。

この中で何が正しいか。何をどう守れるか。自分は何を選ぶのか。を判断する知識が必要です。言われるままでは奴隷と同じ。たとえその時は従うしかない道でも、従うことを決めた自分に責任を持つ覚悟がいる。

大切な人を守る力がいる。チャンスを逃さない機敏さと知識がいる。

だから勉強が必要なのです。

このことをもっとも最重要視し、認識し、きちんと勉強して下さい。

やりたいことが見つからないから、やる気が出ない…。で、怠けていると考えるという習慣も身に付かず、目先の時流に流され、その場の自分ひとりの快、不快でしか動けない人になりかねません。

それは『幸せ』とも、『自由』とも言わないのですよ。それは、時の権力に洗脳された奴隷というのです。

今や、将来楽する為になどと悠長なことを言っている場合ではありません。

知識はアナタの身を守るために必須なのです。

「知らなかったほうが楽でいいじゃん。」と、もし少しでも思うならアナタは文盲の子達に文字が読めなくて、だまされ続けてたほうが楽なんだよ。と本気で言えますか?

しっかり、勉強して下さい。その為のモチベーションアップに、目標があるのは賛成です。

でも、やりたいことが見つからなくても、人の中で生き、必要とされる人間になりたいのなら、まずはがむしゃらに勉強し、考えるという習慣を身に付けること。思考するにも、まず言葉=知識ありき、です。

自分で考え、自分で選び、自由の責任を担え、大切な人を守れる強い人に成って欲しいから。

子供たちに勉強させるために、私はラピスを続けています。





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