東日本の震災は、私達が今起きている現実をどう受け止め、
今と未来の為にこれから何をどうしたら良いのかを考えることを深く胸に刻ませました。
今も被災地の人々の心は不安に震え、誰もが先が見えず、逃げるべきか、
留まるべきかを含め、自分が何をすべきか解らずいる様子が伝わってきます。
1ヶ月経った東京に於いても、2日に一度は揺れが続き、街の灯は暗く、物資も潤っていません。
天災は避けられない。しかし私達は太古の昔よりこの島国で知恵を絞り、
助け合い自然と共存して来ました。
しかし、原発は人災です。
今まで、あまりにも何自由のない物的豊かさに慣れすぎた私達にとって、
巷に溢れる「安心・安全」という言葉は中身の無い只の浮遊物に成り下がってしまいました。
ですから、本当に安心で安全な生活環境とはどうゆうものなのかを殆どの人が
見失っている、と言えます。(見せかけの)言葉だけの安心・安全・エコを
うまく使ってとんでもないビジネスがはびこっているのが今という時代なのでしょう。
さて、福島の惨状を見ても、それでも「デンキの為には、やっぱり原発は必要」あるいは、
「生活が出来なくなる」と言う人が多いことに驚かされます。
それは、日本中の原発全てが即時停止しても決して(通常であれば)
停電しないことになっていることを、その仕組みを殆どの人が知らない、
知らされていないからではないでしょうか。
原発はそれ自体で独立している存在ではありません。全ての原発は必ず、
同じ出力の火力・水力発電(バックアップ発電)設備とセットになっています。
それは今回のような地震あるいは事故による緊急停止の際、瞬時に切り替え、
停電を防ぐという「スタンバイ」システムになっているからです。
(今回の停電は原発が停止したからでは無く、
セットになっている火力・水力発電も共に壊れたことによるものです。)
今なお、日夜大量の被爆を覚悟で注水など決死の作業をしている方々に心を痛めます。
吹く風に放射能が混じっていることに怯えながら動けぬ方々にも。
それなのに、なぜ、私達は正確な情報をしらされていないのでしょう。
仮にもし本当に原発が無ければデンキの供給が賄えないとしても、小さな島国の日本に54基もの原発がなぜ必要なのでしょう?
いえ、知ろうと思えば知ることは出来たのです。また、既に知っていることも多々あります。
しかし、だからといって今ある便利さを手放すには至らないでいます。
明るさも車もエアコンも携帯電話も添加物も遺伝子組み換えも、
身体に何らかの影響を及ぼそうともそれらが無い生活は想像すら出来ないでいます。
いみじくも、30年前「果てしない物語」「モモ」の筆者ミヒャエル・エンデは告げています。
「戦争は強者が豊かになるための弱者からの略奪。と定義するなら、既に第3次世界大戦は始まっている。
強者は、今を生きる我々大人。弱者は子供達。略奪しているものは子供達が生きる未来の地球である。」と。
そうであるなら、加害者は私達、大人全てです。そして私達は偽善者でもあるのです。
なぜなら「子供の為に」と言いながら、子供達の未来の資産を(安全を)
今ある利便性の為に搾取し生活していることは、紛れも無い事実なのですから。
これは資本主義の世の中では暗黙の了解で生きて行く為には仕方が無いこと。
では済まされないことを私達は受け止めなければなりません。
東日本の震災から遅すぎる決断であっても、私達一人一人に何が出来るか。
負の遺産では無く、何を残せて遣れるのかを。
そして教育は子供達が正しさを見分けられる知識、生きる力を育む為にあらねばなりません。
子供達の子供達のこども達の為に…。
真摯に真剣に考え行動する時が来たのだと思います。
2011年4月 通信~ニュースレター~![]()