“考える”ことが大切ですよ。と度々通信にも綴ってきました。
でも、“考える”という作業は言葉を使うでしょう。
だから、沢山の語彙と知識がどうしても必要になります。
思春期は自我が芽生えようと心が疼く時期。自分を認めて欲しいし、
もっと自由になりたい。その為に、自分の成りたいもの。
自分の夢を探し始めると、「ところで、自分って何?」って解らなくなって、
とにかくなんだかイライラしちゃう.…。
でも、実を言うと自分というものは大人になっても中々解りません。なぜって人は、
明日は今日より成長していたいと願うものだから。
どんなにおばあちゃんになっても、明日、何があるかわからない。
何処で、どんな出会いや気付きがあるかもしれません。
それを、「自分はこうだから」と固定しちゃったら、成長も止まってしまうでしょう?
それに“明日はもっと善い日”そう思わなければ、今日を生きる勇気は出てこない。
“明日、地球は消滅します。”と報じられたら、
恐ろしくて今日も生きられ無いんじゃないかと思います。
大人も子供も明日のことは初心者マーク。だから、
ワクワクして明日の種を今日撒くのです。
じゃあ、大人と子供の違いって何でしょう?
好きにお金を使える?あれ遣れ、これ遣れ、と指示されない?自由にしてる?
それは、少し正解で、随分誤解です。
大人だからこそ(社会の一員だからこそ、)好きにお金は使えない。
(お金の価値を知ってるからね。)
(お金は大事だけれど、それが全てでは無いし、本当に大切なものはお金では手に入らないことも知ってるから。)
あれ遣れ、これ遣れと指示されます。(会社では、組織の中では、そして家庭でも…。)
でも、むしろ指示されて遣る事のほうが、ハッキリしてるし、遣り易い。
難しいのは、誰にも指示されないで自分で考え動かねばならないこと。
正しい答えは用意されていなくて、自分が出来るか、
向いてるかもハッキリしなくても、どうすればより良いかを考え、
決断し行動しなければならないこと。
これはキリが無いのに、そこに全てが問われます。全てとは、その人の人間性です。
その人の大きさ、人間力のこと。
そして、今まで生きてきた人生の全てを注いだ行動は、どういう結果であれ、
責任も自分にのしかかるから、重い。大変。しんどいです。
お父さんは酒でも飲まなきゃ遣ってられ無い!って日もあるし、
お母さんはプチ家出するかもしれ無いぐらい怖い、苦しい時も多々あります。
でもね、朝になったら、またいつものように自分の仕事に戻るの。
それは、自分の背負ってるものを知ってるから。
自分が生きる為に、家族の為に、あなたの為に、社会の為に、
自分が必要とされていることを充分感じているから、
それは、自分にとって何にも勝る喜びだから、自分が生きていく糧だから。
それが、自分が生きて存在していることの証だから。
楽してのんべんだらり、と生きるより、しんどくても、
“明日はもっと善い日”と希望を持って“種を撒く”ことを止めずに進めるの。
それは、人としての誇りです。実直で不器用で、
パッとしないように見えても大人が大人たる根は深い。軽くは無いよ。
何かを遣らされてた。では無くて意志を持って何を遣ってきたか?が問われる時代です。
今までの経験と、積み上げてきた自信と、譲れない大切なものの為に明日に向かうのが大人です。
今日、良かれと思って取った行動が悪い結果になったとしても、責任をとる覚悟を持ち、
取れるのが大人です。
6歳になったら小学生。12歳で中学生。15歳で高校生。
18歳で大学生になれたとしても。
20歳になったら大人になれるものじゃ無いの、本当はね。
だから学生という期間は(特に義務教育の間は)その責任が取れるようになるために
力をつける時間です。
学生の間はあなた達は保護されてる。扶養されてる。この間に力をつけなさい。
知識を蓄え実社会に出たとき考え、行動できる人に成る為に。
決して人のせいにしないで、流されず自分に責任を持ち、
指示されなければ動けない人間に成らない為に。もっともっと貪欲に今このとき、
“考える”為に知識を吸収しなさい。それが、あなた達子供に与えられた権利です。
但し、その権利を放棄するようであれば、どんどん指示が出されます。
命令もされます。知識を得る権利を手放して自分で掴める自由は明日も来ない。
自由とは、自分に責任の持てる人に与えられた称号です。
2011年8月 通信~ニュースレター~