原理原本で強く訴えられた部分 | 統一原理の生活化

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お父様が書かれた原本の中で、強く訴えられた部分です。
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今になって本当に生きる道の始まりを知り、人生のルーツを知り、また神様が誰だということを知ったので、私たちは何で報いるだろうか! 

問題は、今になって現れた意味での試封の最高問題になることは言うまでもない事実だ。 失った父親は6千年前で、失った子供を探したのも6千年間休むことができず、私を探そうとしたその存在は誰だったのか。 つまり、父と母の存在だ。

この嬉しくありがたい知らせを広く伝える者は世界のどこにいるのか! 探しているその姿を知っている者は何人でしたか! 

今まで父親に対して唾を吐き、息子として息子が父親を知らないという無念さを長く堪えてきたその辛い心情を、誰かが同情する孝行者が世界にどこにいるのか! 

この道を作るために世の中に孝行者が行くべき適切な孝行と忠臣の道、司祭の道を事前に伝え、その基盤にしようとすることが目的だったのに、今そのものがない嘆くことをまた分かってくれない人間になるのか! 

知っている者は直接接し、親孝行し、国のレベルについては王としての教えは師として基本の志を果たさなければ志せない事実です。 

イスラエルの民は神様に対し、以上のような「三綱」という儒教の中心体として神様を祀ったのでしょうか! 

その原理が分からないのでそうできなかったのです。そのような関係を教えることができない神様の心はどんなに悲しかったでしょうか。 

それは創造原理をすべて完全に見出して最初の理想を成し遂げようとするが、隠れた原理的間隔を置いて堕落したために教えられなかったことを以前言ったようなものです。 

このように、父を知るべき民が知らず、王として知るべき主人公を知らず、仲であれば理想のない者として崇めるべきものも知らない敵味方に対立していたこと自体について、神はどれほど切ない気持ちでしょうか。