視点を変えれば「分派も希望」 | 統一原理の生活化

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昨年も色々と分派問題で揺れた人もいるだろう。
熊本地震があったが、内的地震だった。 砂上の家だったのか?岩上の家だったのか?揺さぶられて見えた「事実」から、見えない「真実」が見えてくる。


これは組織自体の問題でもなく、真の家庭の問題でもない。 食口一人一人の問題。天一国の時代になったが、私自身は天国人になっていない。 天国人になるための通過すべき段階かも知れない。


この問題をどの立脚視点で見るか?復帰時代の時点か?天国時代の時点か?


例えば、お母様の発言が原理的に違うからお母様は、間違っているのか? 見る視点は正誤よりも真の愛があるか、ないかの違いだと思う。


ある人はお母様は原理と違うから間違っているという。 自分なりに結論を出していいのか? もしかしたら信仰の試練をされているのかも知れない。単純に政治的な発言と捉えていいのか?


お父様は原理を解く時に、神様から「お前は間違っている」と言われた。今、その逆の事を試されているかも知れない。


原罪は蕩減時代の話、真の愛は天国時代の話。父が母か、どちらが先に原罪がなかったかは、わからないとしても、今現在、真の父母は原罪がない事は確かだ。過去より現在と未来が第一の優先課題とすべき。 


母の真の愛を否定すれば、現在の真の父母の勝利圏を否定する事になり、未来が見えてなくなる。

家庭盟誓では、真の愛を中心としてとある。真の父母を中心としてではない。

そして祈りは、イエス名によってでもなく、真の父母でもなく、私の名前を通す時代である。

そして私は天一国の主人である。真の家庭の問題も重要だが、一番は自分の完成の問題。

主人は、あっちに行ったり、こっちに行ったりと考えない。使用人は「こっちの主人は優しい」「あっちが待遇がいい」「そっちの主人は名門だから安心」と右往左往する。

主人の立場に立ち、真の愛を基準にすれは、今の混乱から新しいものが見えてくる。
僕べのままで、愛よりも善悪や正誤、正義などを求めるなら、解決しない。


「復帰時代が終わったのに、何故こんな問題が起きるのか?」ではなく、天国時代が本格化するから、完成人間になるために起きていると思う。

私は不思議と喜びを感じる。本心が天国実現の時を感じているからかも知れない。



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