「アブラハム家庭の概略」
黄金のドーム(岩のドーム)
エルサレム神殿の至聖所の後
(モリヤ山頂)
イサク献祭がなされたモリヤ山。実際は丘のようで高い山ではありません。そこに登りつめるまでに三日間かかりました。いかにアブラハムが苦悩しながら歩んだかが覗えます。
どんなに信仰的なアブラハムであったとしても、
100歳で生まれた愛するサラとの愛し子。信仰が激しく揺さぶられます。
もしイサクが抵抗していたら、献祭は果たせたでしょうか。体で抵抗しなくても「やめて!」と言ったら、ためらったかも知れません。
イサクの覚悟があったからこそ、裂く決意ができたのです。
アブラハムが通過した道は、神様が通過された道でした。愛する独り子、イエスを献祭しなければならなかった神様。
アブラハムは途中で止められましたが、神様は実際に決行しなければなりませんでした。もしイエス様が抵抗していたら、どうなったでしょうか。
ソ連共産党下の地下運動。どんな拷問を受けても信仰を捨てなかった人も、愛する家族が辱めを受けるとき、信仰を捨てていきます。
「あなたのイサクは何ですか?」そのイサクを捧げる覚悟がありますか?
この覚悟がない限り、最後の審判を乗り越えることは難しいと自問自答します。しかし私達にはイサクを捧げる事は、ないかも知れません。
それは常に真の家庭が、摂理を乗り越える時、イサクを捧げ続けられたからです。神とサタンの取引の中で、どれほどの苦衷を味わわれたか?その心情がわかる、大人の子女になれますように。
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