①召命者の善悪の背景 | 統一原理の生活化

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「ノア家庭の概略」



ノア家庭はアダム家庭の再現です。アダムから10代目でノアが選ばれました。


10数は帰一数ですが、実際にそういう現象を良く見かけます。教会を離れていた人が10年目に再度導かれたり、本人ではなく家族が導かれたりします。10数は原点に帰る数です。


10年目に問題が起きると、見つめ直す時。原点に帰る時はそういう時です。


100年は一世紀となり区切りの時です。1年で言えば、10月です。10月に1月の決意を思い出して、10、11、12の3ヶ月で、やり残した事を成していきます。


0は無になり1は出発です。一度、無になってから始まります。


無というのは、何もないのではなく、無限という意味。無になって、無限の宇宙の懐に戻ってから新しく産まれ直すのです。


そういう意味では、瞑想もいいのかも知れません。み言の前に、祈りの前に、瞑想する。一度コップを空にしないとミックスになりますから。


義人ノアが神から召命されました。ノアの背景は信仰者の先祖です。アベルの忠誠の条件を土台にアベルの代身としてセツが産まれました。その血統から信仰者エノクが産まれています。


「信仰によってエノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった」(ヘブル書)エノクから4代後に信仰者ノアが産まれました。


「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪を裁き、そして信仰による義を受け継ぐ者となった」(ヘブル書)


召命された者の背景には信仰者がいます。教会に来る人も何らかの信仰者か信仰者を助けた先祖がいます。その功労で教会に来ています。


しかし何故、そのような背景がありながら、その道を続ける事ができないのか?何故途中で疑ったり、困難で挫折したりするのでしょうか?


文先生が語られたことがあります。一人が導かれるには、ある大きな功労を立てた「一人の先祖」がいる…と。


逆に言うと、それ以外の先祖は功労がなかったり、罪が大きい場合があります。その功労を立てた一人が100の功労を立てた事で導かれます。


しかし自分に影響を強く及ぼしている先祖達の功罪を平均するとマイナスになるかも知れません。


文先生は「先祖の功罪の平均によって導かれるのではない」と語られました。ここに大きな課題があります。


導かれた後、マイナス面を清算しないといけない場合があります。そうすると多くの困難を通過しないといけなくなるのです。


ある人は出会う人、出会う人と、うまく行かなかったり…ある人はトントン拍子で進んだり…


同じ教会員なのに、現実としては差があります。 

この事をよくよく理解して、助け合い、支えあう事が必要だと思います。


平面的に兄弟を見ると、受け入れ難い事もありますから。これは私が長く歩んできて実感するところです。



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