「メシヤのための基台」
実体基台の条件物は「堕落性を脱ぐための蕩減条件」です。これはアベルカインの蕩減復帰原則に従って、堕落と逆の経路を通して、アダムと天使長と逆の関係を辿ることで成立します。
ん?でも最近「訓読を何十回したら堕落性が脱げた」という話もあります。これは信仰基台を立てると堕落性が脱げるということ?じゃあアベルカインは無視してもいいのか?
実は、緒論の最初に述べたように、復帰原理での「堕落性を脱ぐための蕩減条件」とは、あくまでもアベルカインが一体化した事を、赦しの条件にして、堕落性が脱げた立場に立てるという意味です。
ですから実際に堕落性が脱げたかどうかよりも、
原理的に「脱げた」という条件が、立ったかどうかが問題です。
たとえば、アダム家庭では、アベルとカインの一体化は、供え物捧げる時に、一度なされれば条件になりました。
ところが、人間の不信が重なり、何度も失敗すると、モーセ路程では、カナン復帰までの全期間、アベル・カインが一体化しないと条件が成立しませんでした。
一度一体化しただけでは、赦されないのです。復帰原理はあくまでも、神が認める条件が重要なのです。
それで訓読で堕落性が脱げるというのは、創造原理的な信仰生活の観点での話しになります。何回か前に書きましたように、信仰基台が全うされた結果、創造本性が発揮され、堕落性が脱げていくのです。
基本的に堕落性は、アベルカインの人間関係の実体基台だけで生じるものではありません。例えば机の角(万物)にぶつかっても、怒気が起きますから。
また、堕落性は霊界の影響から来るものも強いので、訓読を通して悪霊を分立した結果、堕落性がなくなるとも言えます。私達の思いの80%は霊界の影響だと言われていますから。
何度も繰り返しますが、本来の路程と復帰の路程をきちんと区別しないと信仰に混乱を来たりします。
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