「メシヤのための基台」
今日から数回にわたり「メシヤのための基台」について話します。ここは信仰生活において、とても大事なところです。ここの解釈を間違うと信仰に混乱をきたします。
(以下の「メシヤのための基台」の解釈はあくまでも一考察として参考にしてください)
私達は信仰生活において、よく「信仰基台」「実体基台」を立てるという話をします。何かの信仰条件をある期間、立てる事や、アベルカインの一体化が強調されます。
しかしこれはあくまでも「メシヤを迎えるための基台」であって、信仰生活の全てではありません。信仰生活は、本来のアダムエバが歩むべきだった「本然の成長路程」と堕落によって生じた罪を清算し、堕落性を脱ぐという蕩減復帰路程(サタン分立路程)との二種類があります。
本然の路程は、「アダムが神様のみ言を信じ、従順に従って成長期間を全うし、神様と一体となり、創造本性を完成したみ言の完成実体となる」という内容です。
原理講論には本然のアダムの歩みにも「信仰基台」「実体基台」という表現がされていますが、
これはあくまでもアダムが「完成するための基台」ということです。
復帰原理では、「蕩減条件を明確」にするために、この二つを分けて考えていますが、本来は「信仰基台が全うされた結果、実体基台」ができます。つまりみ言を信じ、実践することで、段々とみ言の実体に近づいていくということです。
復帰原理的観点だけの信仰生活を送っていると順当にはいきません。
蛇足ですが、「み言を守る」というのは、「取って食べてはいけない」というみ言だけでなく、「生めよ」(緒論では責任分担を完遂する)というみ言を守るということです。たとえ取って食べなくても、「生む」ことをしなければ完成はできません。あくまでも「取って食べるな」は堕落防止の為の最低減、絶対に守って欲しい強調です。
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