⑵神様はどこにいる? | 統一原理の生活化

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「個性完成」



イエス様は神の独り子でした。完成された人間です。当然、イエス様は自分が完成している事をご存知でした。


聖書でピリポが「父を示してください」といったとき、イエスは「私を見た者は父を見たのである。…私が父におり、父が私におられる…」と答えました。


個性完成した人間は「神の宮」だといいます。よく、明治神宮とか神社の事をいいますが、本来は完成した人間が「神宮」なのです。


あなたが山本さんなら「山本神宮」です。あまりにもありがたくて、沢山の人が「神宮」である、あなたを拝みにくるのです。


誰かがあなたに「神様がいるなら見せてみろ!」なんていわれた時、「私と一緒にしばらく過ごしてみなさい。私を見たら神様がどんか方かわかりますよ」と答えられますか?答えられたら、もしかしたら、あなたは完成しているかも知れません。


文先生は、そういう事が言える方です。文先生を批判する人は、実際に一緒に過ごしてみるといいでしょう。間違いなく、神様がどういう方かわかるでしょう。ちょっと、忙しい神様ですが…(笑)

実際に、文先生は興南収容所やダンバリー刑務所で、実証されました。



PS:人間はいい加減なもので、「あなたを見たら神様を見るようだ」と言われれば「私はそんな立派な者ではありません」と、こそばゆくなり、「お前は悪魔だ」と言われれば、「俺はそんな悪い人間じゃない」と怒りだします。早く、神様を迎え入れられる心と体になりたいものです。




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