日常会話に潜む評価の表現 | 髙宮えり子 〜あなたのコミュニケーションには奇跡を起こす力がある〜

先日、認知症の研修を受けたメンバーで、認知症関連の学術集会にいこう!と盛りあがりました。その候補にあがった学会の今年度の開催地が島根県であると知り「島根県だったら出雲に寄れる!だったら私も行く!」と、即決でルリ子さんのセッションに申し込みをしました。

以前一緒に暮らしていたウサギを海外旅行のために一週間ほどホテルに預けた後、食欲が落ちてしまった記憶が根強く残っていたので「ウサギを飼っている間は、絶対に宿泊が必要な旅行には行かない」と決めていました。

ですが、この研修メンバーと一緒に学会に参加したら楽しそう、という思いが自然と湧いて来たことで、私が世話をしなくてもウサギが快適に過ごせる方法はないか?と、脳内検索が始りました(笑)

すると、いつもグルーミングで通っているお店がホテルもやっていたことを思い出して、あっという間にベストな方法が閃きました。グルーミングをして下さる方は、ウサギがお店で暮らしているときから可愛がっていてくれた人なので「これなら安心して預けられる」と確信を得ました。

更に、懸念していた休みも希望が通りやすい期間に開催されるということに気が付いて「もう、これは行くしかないね!」となったのです。

数年前に初夢で青と黄色の龍にご縁して以来、田舎の神社の青龍にもご縁ができたことで「もしかしてスサノオ様にも辿りつくのかな?」と思っていましたが、遂に叶いそうです。

出雲に行く予定の日は、私のアセンションの大きな節目を迎える、暦の上でも特別な日。偶然のようで必然なのかも知れないですね。これこそが、ガイドに任せると自動的に運ばれていく感覚なのでしょうか?

 

当のウサギにも「お母さんは学会っていう集まりがあって、数日、ホテルに泊まってもらうことになるけど、どう?」と聞いてみましたが、あっさりと「良いよ」と承諾を得ました。ウサギは未来への不安を持ち合わせていないようです。私も見習いたいです。

 

 

色々と自分の中で抵抗していることが少しづつ和らいでいく日々ですが、今日、また一つ面白い変化がありました。

 

私の課題に「親密さの訓練」があります。親密さへの抵抗の指標として、以前、気付いていたことは、何度か通うようになったお店の人に「いつもありがとうございます」と言われると「もう、このお店に来づらくなってしまった…」と反射的に感じていたことです。特に「久しぶりですね」と言われたりすると、買いに来なくなったことを責められているようで、もうダメです(苦笑)

実はこの「久しぶり」という言葉は看護記録のSOAPのAに該当します。アセスメントのカテゴリーですね。ルリ子さんの「大人の恋愛学セミナー」でも取りあげられていましたが、アセスメントは評価ですので、実はネガティブコミュニケーションになるリスクを孕んでいるので注意が必要です。

 

この「いつもありがとうございます」の言葉に抵抗する感覚が湧く理由は、顔馴染みになってしまうと、そのお店の商品が好きでなくなったときに、それでもそのお店に行かないといけない、と感じてしまうことが苦痛だったからです。つまり、情で繋がると分離が面倒臭いということを知っているので、それを回避するためでした。

ですが今日、いつも通っている食パンのお店で買い物をしたときに、全く何の抵抗もなく話ができていることに気付いて驚きました。

少しづつですが、親密さへの抵抗が減ってきているようです。