『貞丈雑記』にみえる「宮参」 | laphroaig-10さんのブログ

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◎『貞丈雑記』にみえる「宮参」




一、宮参事、本はうぶすな参といひし也、




誕生記〔伊勢貞衡が記されし〕云、百日の内は白小袖、百一日め、色直しとて、産婦児并仕女も、色小袖を著す、色直しの祝あるべし、色直し有て、三七日の儀、吉日次第、宮参あるべし、




又祝言次第〔蜷川親孝記、天文永禄比、〕記云、百日に色直しと云て、赤き小袖を著させて、うぶすなへ参らする云々、〔既に天文永禄の比は、うぶすな参、又宮参など云名は聞えし也、其外は詳ならず、〕




御宮参と云名目、義満将軍以来の事にや、





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『東都歳時記』「嬰児宮参」





初宮参りにつての資料を挙げておきます。




●前史(神社本庁編『諸祭式要綱 続編』昭和四十年三月、神社新報社、参照)

鎌倉時代 朝廷「御行始」 五十日祝・百日祝と称して新誕の皇子が初めて内裏に参内
室町時代「色直の祝」 産婦・産室などを専ら白色を用いたのを平常に復す
この日 「箸立」「喰始」「箸揃」 初めて生児を食膳に向わしめる
その後、三七日を経た吉日母子共に鎮守社に参詣 「宮参り」「産土詣」
家では、置鳥・置鯛等で室内を飾り供え「産神」を祭る
江戸時代 生児男子三十三日・女子三十二日を経て産土神に参詣し、帰途知己を訪れる




○誕生 産湯・産着(産衣) 産飯  
 *産神さま…出産の際に妊婦や赤ちゃんを見守り、そしてお七夜が過ぎると帰ってゆくと考えられている神


○お七夜と命名




○初宮参り(『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店、平成二十一年十一月、等を参照)


 出生後,子どもが初めて氏神参りをすることで、単に宮参りともいう。生児を氏神に氏子として認めてもらい、健やかな生育を祈念する儀礼である。

▲氏神に氏子の誕生を認めてもらう
 日取りは地域によって様々であるが、だいたい生後三十日前後にとり行われる。
 男児は、三十一日目、女児は、三十三日目など、性別によって日数が異なることが多い。
 女のほうが遅いのは忌みが重いからだとか、逆に男のほうが遅い地域では,結婚が遅いから日数が多いなど、様々な解釈がある。
 宮参りの日を、ヒノハレ、ウブヤアケ、オボエアキなどといい、生児と母親はこの日から産屋を出て家族と起居をともにした。ただし、産の忌みは段階的に晴れるものであり、母親の忌みはまだ明けていない。この時期の宮参りには母親は同行せず、産婆や姑が生児を抱いて詣でる。
 しかし、中国地方以西では、母の忌み明けを待って百日目に母子で氏神に参るモモカマイリの例も多い。
 また、三十日前後では生児の忌みも完全に明けたとは考えず、境内に入らない鳥居参り(愛媛県越知郡など)ですませる地域もある。
 近年はこういった忌みの意識も薄れ、母親が宮参りに同行するようになってきた。ただし、姑が生児を抱くことが多いのは、かつての忌みの名残ともいえよう。
▲生児の忌み明け
 神前では、わざと子どもを放置したり転がしたりして泣き声をあげさせる。氏神に生児を印象づけることで、より強い加護を得ようとするのである。
 宮参りには、嫁の里方から贈られたカケギモノ、カケイショウなどと呼ばれる晴れ着を生児に掛けて行く。
 神奈川県藤沢市では、贈られた祝い着の数だけ近所の子どもを集め、肩に掛けて宮参りの供をしてもらい、礼に菓子や小遣いを配った。また、行き会う人々には区別なく生児を見てもらい、お神酒や供物をふるまって祝福してもらうところも多い。宮参りは生児の披露目であり、ムラ社会の一員として人々に認めてもらう機会でもあった。
▲生児の誕生の社会的承認




◎初宮詣祝詞


掛けまくも畏き某神社の大前に宮司氏名恐み恐みも白さく、
[願主住所・氏名]の真名子〔子供氏名〕い、平成 年 月 日に大神等の恩頼を蒙奉りて、
此の顕世に生出でしより喪無く事無く生育ちて早くも今日は産屋明けぬれば(母も子も安く穏ひに日数足らひ)
世の例の随に今日の生日の足日に初宮詣の御祭仕奉らくと、大前に参出で礼代の幣帛を捧奉りて拝奉る状をうむがしと見そなはし聞食して、
今より往先、此の神符を持斎き祀る任に、弥益々に撫給ひ恵給ひて、知恵深く心平穏に身健全に
 弥足はしき大丈夫と
 貌美はしき手弱女と
成幸へ給ひ、家門は望月の充足ひ、岩松の堅磐に常磐に易る事無く立栄えしめ給へと、
恐み恐みも白す。