◎みのりといのりとくりかへし
我々の祖先が伝へて来ました「祭」はどのやうな性格のものであり、我々の社会にとつてどのやうな機能を果してゐるのでせうか。
現にいにしへより連綿と続いてゐる「祭」は、稲作りに関はる祭祀であり、春の、「みのり」に対する祈願の祭と、秋の「みのり」に対する感謝の祭とからなりたつてゐます。
この祭のかたちは天皇がなさつてゐる宮中祭祀や伊勢の神宮の祭祀から村々里々で行はれてゐるムラ祭にいたるまで共通な基本的なかたちです。
我々の社会形態がいかに変はらうとも、我々が米を主食とし、米をいのちの糧とし、それを神のおかげと感謝する生活があるかぎり、この祭の意義は不変です。神のおかげを受けてゐるのは米だけではありません。我々に流れるいのちはもちろん、この世のあらゆるものものを神のおかげと感謝しつつ生活するのが神道の生活です。祭は生活の源泉であり、祭の場は「みのり」への「いのり」の場とも言へませう。
亀島のゆにはに捧ぐ初穂こそ
人のいのりのすがたなりけれ(拙詠)
それでは、なぜ祭が絶えることなく我々に伝はつてきたのでせうか。それは「くりかへし」といふ一言に尽きると思ひます。時代の状況によつて細部の変化はありませうが、年々祭りのこころをこころとして忠実に繰り返すことによつて祭は伝へられてゆくのです。
祭では「祖型」が反復され、かのはじめとき―神話的世界あるいは始源の状態―が再現されます。祭においては我々の日常の世界は解体され、我々の社会の伝統的な秩序ある世界がよみがへり、我々は静と動―厳粛な祭儀と賑やかな奉納行事―によつてなりたつ聖なる世界に遊びます。そして、祭によつて社会は再統合され、祭に参加することによつて社会の成員同志の紐帯は強化され、個々の人々のいのちはよみがへり、祭の中から明日への生活の活力も生まれてきます。
伊勢の豊受大神宮(外宮)では「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆふおほみけさい)」と呼ばれるお祭が朝夕欠かさず毎日執り行はれてゐます。皇大神宮(内宮)の御祭神天照大御神様にお食事を差し上げるお祭りで「常典御饌」とも言ひます。この祭が太古のすがたさながら現在行はれてゐますのも、雨が降らうと風が吹かうと毎日欠かさず使命と責任との自覚をふまへた神職によつて厳修されてきたからであり、さらにこの祭のかたちとこころが次の世代次の世代へと受け継がれてきたからであります。人のいのちには限りがありますが、「くりかへし」のちからによつて祭は伝へられてゆくのです。その「くりかへし」が最も厳格なかたちで行はれてゐるのが神宮の式年遷宮であります。遷宮では神宮の御社殿をはじめ御装束・御神宝類が新調され、いにしへのすがたにたちかへります。遷宮により大神様のいのちひいては日本のいのちが更新されるのです。
祖先より受け継いできた祭の意義を再確認し、祭をおろそかにすることなく「くりかへし」、祭のかたちとこころをまた次の世代へと伝へてゆくことが今に生きる人々の責務であり、ことに、「中執り持ち」としての神職の使命であると思ひます。
http://www.pref.kagawa.lg.jp/kenkosomu/shokuiku/health/vol8/road/sanuki06.html